12.25.2011

クリスマス問答

幼稚園でサンタクロースの概念を植え付けられてしまった息子です。しかし、「さんたさん」はプレゼントをもってきてくれるということはわかっているものの、クリスマスまで待たないといけないということがなかなか理解できないようで、いくら待っても息子の欲しいものをもってきてくれないサンタクロースにいらいらしています。

はじめはトイストーリーの「バズ ライトイヤー」を欲しがっていた息子ですが、ここに来て心変わりしたらしく、今度はカーズに出てくるマックイーンの相棒「メーター」(スペイン語版では「マテ」と発音される)が欲しいとのこと。毎日のように以下の問答が繰り返されております。

「ママ マテ、スーパーにかいにいくよ!」
「マテはサンタさんがもってきてくれるんだったじゃん」
「じゃないもん! も〜!」
「にーにょが、にこにこして、ママにやさしくしてくれてたら、サンタさんがクリスマスにくつしたの中にマテをおいていってくれるんだよ」
「ほんと〜?そうなの?」(いかにもびっくりした風に言う)
「そうだよ。ほんとだよ。」

今日はクリスマスイブ。
さて、サンタさんはマテをもってきてくれるでしょうか・・・。

12.22.2011

上品ぶっているから、違ったようにみえるだけのことで

幸運なことに、本棚から昔友人にもらった古本の『貧しき人びと』(ドストエフスキー作、木村浩訳、新潮文庫)を発掘したので、「余暇」に大事に読んでいます。日本語で小説を読むのは、私にとってとても楽しい息抜きです。

最近アマゾンで、他の荷物と一緒に年明けにメキシコに送ってもらおうと思っている本を物色していたのですが、東欧・ロシアの現代作家が気になります。ジフコヴィッチとかペレーヴェンとか、すごい面白そう。気になります。

この小説に限らず、私は、賢くて、強いけれどはかない女性が出てくる話が好きです。『貧しき人びと』はワーレンカとマカールのラブレターで成り立っている小説なんですが、これがまたすごく面白い。そこで生きる人びとの、主に絶望の中に宿る熱い心のときめきに救われる気がします。良い文学はなぜ色あせないのだろう。人間についての深い洞察は、時や空間を超えて、ある真理に近いものを提出するということが確かにあるのでしょうね。おそらく政治学でも一緒なのかもしれません。合理的選択論者は、ある人間についての真理に近い理論から、演繹的なアプローチで問題を設定しますが(例えば、「集合行為問題あるいはフリーライダー問題があるにもかかわらず、労働者はなぜ労働運動に参加するのか」とか。)、そういう思考法も妥当である側面があるのかもしれません。しかし一方で、『貧しき人びと』における描写が、19世紀半ばの、ペテルブルグの、不遇で薄幸な人びとという、非常に具体的なコンテクストにおける人間のあり方を描いたものであるということ、そこから21世紀の異国の読者に共感を促すような「普遍的な真理」が導きだされるということも、同時に重要である気がします。具体性から普遍性へ。

当たり前といえばそうなのですが、一応覚え書きまで。

12.15.2011

誕生日参観

以前に少し書きましたが、ケーキ持参の誕生日参観時の写真を。


メキシコの誕生日ソング「マニャニータ」と、「たんたんたんたんたんじょうび」をみんなに歌ってもらい、主役顔でろうそくの火を消す息子。

ケーキは、みわこさんという日本人の方が手作り販売されているもので、とっても美味しいのです。メキシコのケーキは甘すぎるのと、スポンジが砂糖水漬けになっているのとで、一口でお腹いっぱいの私ですが、みわこさんのケーキはいくらでも食べられます。息子も大好き。

自分が主役であることをきちんと理解しているらしい彼は、切り分けたケーキをおともだちみんなに配ったり、おみやげ用のお菓子の入った包みを一人一人にあげたりと、なかなかホストの気配りも見せていました。

それから、ママにも教室やトイレや園庭を案内してくれたり、「ママは ここに すわって!」と、椅子を用意してくれたり、とっても紳士な息子でした♡


これからピニャータの歌をうたうところ↓

金曜日は今年最後の登園日で、クリスマス集会の参観があります。
こちらの幼稚園の参観となると、両親ともに参加しているケースが多く、「仕事は?」とか思いますが、仕事を休んででもこどもの学校の行事に来ちゃう親がメキシコには多いのだと、園長先生が言ってました。ピニャタ割りとサンタとの写真撮影があるらしいので、そりゃ見逃せないですね。。

12.14.2011

有機物とはなにか。


メキシコシティのゴミの分類法は、私が知る中で最も難しいものです。以前はゴミを分別する必要はなかったのですが、「教養のある国の市民」として分類した方がいいんじゃないかという話になりまして、2005年頃から有機物(orgánico)と無機物(inorgánico)に分けることが義務づけられました。

...有機物ってなんだっけ...??

市の配布するパンフレットにはいくつか例が掲載されておりまして、
トマト → 有機物
虫 → 有機物
ごはんの残りかすのついたナプキン → 有機物
プラスチックの袋 → 無機物
紙 → 無機物
ガラス → 無機物

と、こういう感じなのですが、メキシコ人の分別する様子を観察したところ、ようするに「食べ物とそれに準じるもの」と「それ以外」で分けられている印象です。
でも、紙って有機物じゃなかったっけ...?とか思いながら、無機物入れに捨てている私です。

で、ついにググってみたところ、有機物というのは「炭素を含む化合物」をいうのだそうで、さらにわかりやすく言えば、燃やすと二酸化炭素を発生し、黒く焦げて炭になる物質のようです!というわけで、やはり紙は有機物で、プラスチックなんかも有機物ということになります。つまり、メキシコシティ政府の配っているパンフレットの内容には誤りがあるといえます。

ちなみに百科事典の記述を引用すると、
有機物=有機化合物。炭素を成分とする化合物の総称。(中略)有機化合物は有機体(生物)に起源を有する化合物の意で、かつては、生命力によってのみつくられると考えられていたが、1828年のウェーラーによる尿素合成以来本質的には無機化合物と区別されなくなった。(中略)異性体の数も多く、現在までに知られている有機化合物の数は100万以上といわれている。。。(以下省略)。

...難しい。
つき詰めれば「無機物といっしょ」とまで言われており、目一杯理解を試みてもまったく意味がわかりません。

メキシコシティ政府の意図が不明であることが問題なのだろうと思います。本当の意味で、有機物と無機物に分けることが環境にとって何らかのよい結果を生むため、市民に有機物と無機物を分けてほしいと考えているのか、そのまま土に帰すものと燃やすものを分けたいのか、燃えるゴミと燃えないゴミにしたかったところを間違えたのか。謎ですが、少なくとも紙とプラスチックを有機物に入れたら、ゴミ収集のおじさんたちから怒られそうです。

ちなみに、以前住んでいた中野区のゴミ分類法には感心したことがありました。5、6種類の分類がある中で、「燃やすゴミ」と「プラスチック・資源ゴミ」というのがあったのですが、例えば「食べかすのついたお惣菜用プラスチック容器」は「燃やすゴミ」であるが、「きれいに洗ったプラスチック容器」は「資源ゴミ」だというのです。資源にする気がないのなら燃やす。「燃えるゴミ」ではなく「燃やすゴミ」なんだ〜、と妙に納得させられました。ちなみに以上とは別に「燃えないゴミ」もありました(無機物、でしょうね)。

以上、こんな分類にまったく意味はないと思いながらも、ゴミをもっていってもらうためにメキシコ流有機物と無機物の概念に従っています、というのが本日の結論です。


12.12.2011

髪を切ったら☆


髪を切りました息子氏。

メキシコシティにはちびっこ専門の髪切り屋さんがたくさんあるのですが、散髪の間おりこうさんにできると、ご褒美におでこに☆のシールを貼ってもらえます。しかし貼りたらず、うちに帰ってから自分でさらに☆をぺたぺた貼ってた息子です。ちなみに写真で見えない側のほっぺにも4つほど貼ってあります。

12.10.2011

塩がない


朝からスープを煮込んでいるのに、塩がないことに気づきました。
うちの「ぐり」のせい...
「カステラ つくるよ ママ!」
と、毎日たっぷり塩のかかったカステラを作る野ネズミがいるため、一年分?という大きさのボトルがほとんど空になってしまっていたのでした。忘れてた。幼稚園のお迎え前に塩を買いに寄らねば。

最近口ぐせなるものが増えて、おしゃべりが面白い息子ですが、
よく使うのは
「じゃないもん! もぉ〜」
でして、私が言ったことを受けて否定の相づちを打ちます。

「今日はラピュタみるんだっけ?」
「じゃないもん! もぉ〜」
といった具合です。
だいたい私の提案は却下されるのが悲しいのですが。

写真は、先日遊びに来てくれたいとこのアレックスと一緒。
うしろに見えるのが、例のピニャータです。

12.07.2011

あじゅまめ


息子の頻出語彙「あじゅまめ〜」。
検討したところ、"Ayúdame"(アジュダメ:やって〜)でした。
あじゅまめ!
かわいいので、私も真似して息子に使っています。

ちなみに日本語では、靴履くの手伝ってといわれて
「ママいそがしいから にーにょが自分でやってよ」
というと、
「ママがじぶんでやって!」
とえらそうにいいます。

先日息子の誕生日だったので、
ケーキをもって幼稚園を参観しましたところ、
おこさま方がたくさんお歌を披露してくれました。
懐かしい日本の童謡。
いくつかは先生たちがオリジナルの西訳版を作っていて、
「ゆきやこんこん」とか「てをたたきましょう」とか、
二カ国語で歌っててびっくり。
いちいち翻訳を考える先生方のご苦労にもびっくり。

中でも面白かったのは、今度クリスマス音楽会で息子のクラスが発表するという「ピニャータの歌」。
メキシコの伝統的な遊びピニャータを割るときにうたう歌です。ピニャータについて、詳しくはこちらの投稿をご参照ください。

このピニャータの歌に、日本語訳がついているのです。息子はどうも、スペイン語よりも日本語版の歌詞の方が好きみたいで、最近うちでもよく口ずさんでいます。

だれだれだーれ
ピニャタをわろう
ちからをこめて
ピニャタをわろう

いっかいめ
にかいめ
さんかいやって
はい こうたい!

...素晴らしい翻訳です。

ちなみに冒頭の「だれだれ」は、「誰」ではなく、一応スペイン語の"dale"(ここでは、いけ!がんばれ!みたいな意味)なのですが、「誰」でもいい感じに意味が通じます。
土曜日の音楽会が楽しみです。

写真は、誕生日会でもらったプレゼントを披露しているところ。
息子何歳になったの?と訊くと、「くあとろ(4)!」と、なぜか1歳サバを読む息子です(本当は3歳になりました)。

12.06.2011

ベイビー飲み

イベント盛りだくさんな週末でした。

金曜の夜は、友人クラウディアのBaby Showerがありました。

二人目ということもあって、いわゆる「ベイビー」で執り行われるくだらないけどだんだん楽しいような気がしてくる一連のゲーム(ビンゴとか赤ちゃんグッズ連想ゲームとか)はまったく行なわれず、ただの飲み会となったので、私としては非常によかったです。20代〜50代までの女子総勢9名の飲み会。既婚、未婚、子持ち、バツイチなどいろいろ。これだけの女ばかりの飲み会なので当然ですが、だんだんまったくベイビー・シャワーという趣ではなくなり、「男のペンデハデス」について語る会になっていました。なお、ペンデハデス(pendejadez)というのは、形容詞ペンデホの名詞形で、教養のある大人の女性が使うべきでは決してない卑俗な類いの言葉ですが、メキシコではよく使われます。「愚かさ」「お馬鹿さ」「間抜けさ」を全部合わせたような意味になります。

世界中どこでも、女の男に対する愚痴は普遍的なものであると再確認した夜でした。それにしてもみんなよくしゃべる...次々と飛び出すエピソードにただただ感心しつつ、ほとんど黙って聞いてた私です。

中でも一番盛り上がったトピックは、「男は嘘がなんであんなに下手なのか」という話題。日本の女の子もまったく同じことを思っているはず。男性の読者の方には申し訳ありませんが、結論を要約すると、

 「バレる嘘は初めからつかないことである。嘘自体褒められたことではないが、我々の怒りの核心はむしろ、バレる嘘をつかれることにある。どうしてもっと上手に嘘がつけないのか。最後まで騙し通してくれるなら問題はないが、バレる嘘というのは一番たちが悪い。その瞬間に信頼を失い、頭の悪さまで露呈することになる。しかも、全然たいしたことじゃないことで嘘をついて、それがバレたりする。本当のことを言えば何も問題なかったのに。だいたい男は女を甘く見過ぎである。あなたと付き合うまで修道院にいたわけじゃないのよ、と言ってやりたい。」

だいたいこんな感じです。当然視野狭窄による過度の一般化が生じていることは否めませんが、世界中どこででも、女の子がたくさん集まるとこういう話になるということは、どこか真理があるのでしょうね。

ただし、男性の読者の方で不快な思いをされた方のために付言しておくと、女の子はこうした「男のペンデハデス」がかわいくて愛しくて愚痴を言っているのであって、本当に心の底からの敵対心でぼろくそに言っているのではありません。その辺りも世界共通だなあと思います。

そういえばベイビー・シャワーだったねと、帰り際になって皆で思い出したベイビー飲みでした。