12.21.2008

私たちのお産

お産の断片的な記憶。
不思議なことに今思い返してみても、記憶のカケラしか見当たらない。あれだけ衝撃的な出来事に直面すると人は、断片的な映像の束としてしか物事を記憶できないのかもしれない。

私と赤子のお産は、前日の水曜日から始まった。この日は39週健診。これまでに8回ほどドクトルの健診を受けたが、実はこのドクトルのことをいまいち信用しきれていなかった。というのも、異国にいるとついつい日本の「常識」と比べてしまい、エコーも尿検査もない「ほったらかし」健診にずっと不満を感じていたからだ。ところが、この日はなんだか違うものを感じた。内診の結果、赤子は完全に骨盤まで下りてきているとのこと。早ければ明日、おそらく金曜日にはお産になる。そう言い切り、入院のための書類を準備するドクトル。別れ際には、いつもは握手だけの挨拶なのに、親しい相手にするように、私を抱き寄せて頬にキスの挨拶をしてくれた。その瞬間不思議なことに、この人を100%信頼しようという気になった。

そうして心も体も準備が整ったのかもしれない。翌朝木曜日の4時ころ、陣痛が始まった。びっくりするほどの痛みなのに、なぜかわくわくどきどきの消えない痛み。もうすぐ赤子に会える!

無痛分娩とは迷惑な名称だ。子宮口7センチ開大までは陣痛に耐えるし、生まれるときにはものすごい痛みといきみたさも経験する。個人的には麻酔を打ってよかったと思う。ただでさえ進行の早かったお産が、麻酔でリラックスすることでさらに早まり、陣痛開始から7時間で生まれた。知らなかった麻酔の副作用としては、血圧が下がって吐き気がすることと、寒くもないのに震えが止まらないこと。これには困った。背中に麻酔を打たれるとき、ひざをおなかに抱えてぎゅーっと体を丸くする。ちょうどお腹の赤子と同じだ。なるほど、たしかになんだか安心するね。私も生まれたときの姿勢に返る。

いきんでいいと言われてから、3回目のいきみで赤子はこの世界にやってきた。横についていてくれた明るいドクトーラ(女医さん)から「いきむのとっても上手よ!その調子!」とほめられ、励まされる。間違いなくすべての産婦さんを同じようにほめているのだと思う。こんなときでさえ、ほめられると嬉しいし、頑張ろうって気になるから。

はじめて赤子を見たのは、私のドクトルが生まれ落ちた彼を取り上げて横に待機していた小児科医に渡したとき。私が丸まっていたのの比でないくらい、真剣に体をぎゅっと丸くしていた。「ばってらみたい」、というのが正直な第一印象。

産婦人科医の役目は赤子を取り上げるところまで。そこからは小児科医にバトンを渡し、産婦人科医は胎盤を取り出したり子宮を綺麗にしたりの作業に入る。あくまで患者は私。一方小児科医は、慣れた手つきで赤子の健康を確認していく。赤子は彼の真新しい患者さん。この完全なる分業体制は、非常に気持ちがいいと思った。

分娩から6時間後、部屋に連れてこられた赤子を腕に抱き、駆けつけてくれた友人とつぶやく。「今日は文字通り、この子のバースデーだね」。「誕生日」という言葉がこれほど胸に響いた日はないだろう。生まれてきてくれてありがとう、ただそれだけだよという気持ち。

こうして、新しい日々が始まった。

出産を知らせたイスラエルの先輩パパ、Oriからのメッセージ:
"Be strong and happy. (You will be very tired anyway.)"

その通りだと思う!

11.14.2008

同じサボテンなんですが


今年の3月、幾何学的美しさともいえる華麗な花を咲かせたサボテンくんでしたが、最近反抗期なのか、「たまねぎ小僧」になることを決めたようです・・・


コレ↓
同じサボテンとは思えん。

もう少し年を取ればまた丸くなるかな。

11.11.2008

タマーレス

以前はそんなに好きでもなかったのですが、最近「なんておいしいんだろう」と思うようになったのがタマーレス(タマル)。トウモロコシで作った「ちまき」のような料理で、中に鶏肉やお豆などの具が入っています。

写真左はバナナの葉、右はトウモロコシの葉で巻いて蒸したもの。バナナの葉で巻いたものの方がしっとりした食感で私は好きです。ピンク色の飲み物は、アトーレと呼ばれるこれまたトウモロコシ粉を溶かして甘く味付けした暖かい飲料で、これはストロベリー味です。甘い豆乳みたい。


具で一番好きなのは、緑色の辛いサルサと鶏肉の組み合わせです。それにしてもここメキシコでは日本でお米を使って作られるあらゆる料理のトウモロコシ版を見かけます。このメキシコ版ちまきにしても然り。これが主食っていうものですね。

死者の日

少し前になりますが、11月1日・2日は「死者の日」でした。
メキシコ先住民とキリスト教の二つの伝統が混じり合った非常にメキシコらしい祭日です。日本のお盆にあたるもので、死者の霊がうちに帰ってくる日と言われています。

死者の日には各家庭やお墓でオフレンダと呼ばれるお供え物をします。ビール、テキーラ、フルーツなど死者が生前に好きだったもの、なんでもいいんだって。やっぱり日本のお盆みたいです。その他、この時期に出回る「死者のパン」というすごい名前の菓子パンや、砂糖やチョコレートでできたガイコツのお菓子なんかも置きます。そしてかかせないのが、オレンジ色をしたこの日を象徴する花、センポアルソチル(Cempoalxóchitl)。明るい色の花びらを家の前などに置いて、死者が道を間違えずに帰って来れるようにするそうです。

うちでもこの花を飾って、日本で亡くなった祖父がメキシコの我が家にも訪ねてきてくれるように、ミニ・オフレンダを作りました。


たまたま迷い込んだトラルパン地区の墓地で見かけたオフレンダはこんな感じ↓

日本の仏壇とはまったく異なる色鮮やかさに驚きます。ギターなんかが供えてあるのも面白い。あちこちに死者の日を象徴するガイコツが見えます。

この日は家族でお墓参りに行って、子どもから大人まで総出でお墓の掃除をするのも日本のお盆に似ています。BGMには死者の好きだった明るいメキシコ音楽の生演奏、というのはこの地ならではですが。

↑ここはほんとに墓地かと思わせるような陽気な音楽。


きれいに掃除と飾り付けが終わったら、みんなでゆっくりお昼ご飯。夜中まで死者とともにお酒を飲んだりごはんを食べたり楽しむ家族も多いそうです。色とりどりのお花が供えてあるからか、あちらこちらから陽気な歌声が聞こえてくるからか、日本の墓地のどんよりした雰囲気は微塵もなく、むしろテーマパークや公園に近い感じです。

↓前後しますが、街角のお花屋さんは大忙し。左手の車に積んであるのがセンポアルソチルです。

田舎に行けば行くほど昔からの慣習が残っていて、お祭りも盛大だとききます。うちの階下に住むおばちゃんはプエブラに近い小さな村の出身らしいですが、「死者のパンやモーレ(いろんなスパイスを使ったメキシコ独特の料理)を近所で交換したりするのよ」と懐かしそうに話してくれました。そんな話をききながら、おはぎが無性に食べたくなった日本人な私でした。

10.31.2008

絵本を買ってはみたものの

うちの赤子にはぜひ日本語の楽しさも知ってほしいと思い、
アマゾンで本を見ていたついでに五味太郎さんの絵本を購入。


汽車が出発して終点に着くまでの物語を
ぽぽぽぽぽぽ という擬声語だけで表現しているのだとか。
なんだか楽しそうだし、絵もかわいい。
読者レビューを見ても、「娘の大のお気に入りで、
一緒にぽぽぽぽと声を出して楽しんでます」
とか、これは小さな赤子も日本語を学べてよさそう!
というわけで、早速注文してみた。

のはいいのだが、注文後10分くらいしてはたと気がつく。
なんとスペイン語で「ぽぽ」は「うんち」のことなんです。ああ。

これでレビューの娘さんのごとく赤子がぽぽぽぽ言い出したら、
「あらこの子、うんちってまた(しかも何回も言ってる)」って思われてしまう・・・。

ぽぽぽぽは家の中限定にしないとです。
絵本選びにも思わぬ落とし穴があると学びました。

circuncisión

「今からお話しする内容は、生まれてくる赤ちゃんが女の子じゃない場合と、あなた方がユダヤ人じゃない場合はよく聞いてくださいね。」

昨晩いつものように病院の出産準備クラスに出かけたところ、こんな話が始まった。Circuncisión、いわゆる「割礼」というやつである。割礼なんてするのは、ユダヤ人とアメリカ人くらいだと思っていたので、メキシコでこんな話を聞くとはびっくり。どうも隣国アメリカの影響で、最近私立病院では希望があれば行なうのが普通らしい。しかし、同じクラスに居合わせた他のメキシコ人夫婦も不安げに医者の話を聞きながらなにかと質問をしていたところを見ると、どうやら彼らにとってもそれほど普通のことではないようだった。

医者の結論としては、するかしないかどっちが良いというものでもないけど、とにかく赤子が生まれる前にどうするか決めておくことが大切、とのことであった。それから知らなかったこととしては、
①新生児の場合、処置の際部分麻酔で済むが、月齢3ヶ月を越えると暴れる可能性があるため全身麻酔となること。
②大人になってから必要が生じて手術をすると、平均3ヶ月はベッドから動けない大変な事態となること。ちなみに新生児の場合、術後6時間で回復。
③赤ちゃんももちろん痛みを感じるが、痛みに対する閾値のようなものが大人よりも高いこと。

アメリカで同期だったイスラエル人のオリに、彼の息子の割礼のときの写真を見せてもらったことを思い出した。といっても手術のような生々しいものではなく、教会であたかも洗礼式のごとくユダヤ教の神父さん(?)がハサミでちょんと。皆ほのぼのした感じで赤子を見守っている光景が印象的であった。ハサミでちょんって・・・今思えばそんなほのぼのしてていいのだろうかと不安にも思います。

まあ取り立てて必要がないのであればわざわざやることもない、ユダヤ教のように包皮を神に捧げるわけでもないし、と私は思うのですが、医者は自分で決めなさいと言いつつ緩やかに割礼を勧めていたような印象でした。日本でも最近はするところもあるのでしょうか。世界の割礼事情を知りたいところです。

10.28.2008

家計かイデオロギーか

先週からアルゼンチンで年金制度の再国営化が進められているのと対照的に、ここメキシコの年金制度は民営化の一途をたどっている。従来の公的機関が運営する賦課式年金制度(若者が高齢者を支える日本のようなシステム)を改め、民間の保険会社に加入者それぞれが個別の年金口座を持ち、給料の一部を積み立てて老後に備えるという「自分のことは自分で」システムに移行しようというのである。昨年3月の公務員年金制度改革で、公務員の年金もこの新システムに移行することになった。

ところでうちのセルも公務員ということで、旧システムに留まるか新システムに移るか選択しなければいけないことになった。法改正以降に入った職員は自動的に新システムに入ることになるのだが、それ以前からの職員はどちらか一方を選べることになっているのである。選択猶予期限が迫っているということで、先日からセルが「君の方が詳しそうだからどちらが都合がいいか考えてよ」などと言い出した。
私の研究テーマはラテンアメリカの社会保障政策なのです。

しかし、研究対象として制度を見るのと、実際の当事者として制度に触れるのとではだいぶ違う。細かい制度改正は一見わかりにくい面も多く、また政府は「新制度の方がお得だよ〜」と大雑把な宣伝を打って被保険者の新システムへの移行を促しているだけなので、おそらく考えるのがめんどくさくなって新システムを選ぶ人が多いのではないかと思った。

法改正を吟味してみた結果、まあどちらかといえば我が家の経済事情にとっては新制度の方がマシそうであるという結論に達した。ただ、日本の年金もロクに納めていない分際で言うのもなんだが、年金やその他の社会保障というものは本来、連帯・助け合いによって社会全体の利益に資することを目的とし、国家が主体となってそれを管理していくべきだと私は思っているので、この新制度のような個人主義的システムには賛成しかねるのである。その旨をセルに話したところ、「理念とかそういうことを言っている場合ではない。少しでも多くのお金が将来家族に保証されることが大事」とあっけなく新制度を選ぶことに決めた模様。これには多少感心した反面、やはりジレンマは残るところです。


Somos tres. (3人)




10.25.2008

果物で一息


メキシコでも買えるアジアンフルーツ
かき を買ってみました。


こちらでは、そのまま「カキ」または「ペルシモ」と呼ばれています。
メキシコはミチョアカン地方産。
味は普通にかきで美味しいです。秋ですねえ。
4個で約350円でした。
メキシコの果物にしては高めですが、日本と同じくらいかな。

週末によく行くセントロ地区のサン・フアン市場では、他にも白桃(アメリカ産)や枇杷(メキシコ産)といったアジアンフルーツが買えます。白桃は甘くてとても美味しいし、枇杷も長崎で食べるのと同じ味で感動しました。
また、サムズというコスコのような大型量販店では、「アジア梨」と呼ばれる日本の梨が買えます。洋梨と違って酸味があってさわやかで、私はやっぱりこちらの梨の方が好き。

日本にも久しく帰っていないので、さすがに日本の果物も懐かしくなるものです。あとはこちらで巨峰狩りでもできれば文句なしなのですが。

赤く、赤く

ポインセチアの季節です。
うちの中庭のもだんだん色づいてきました。


今年は木の左側から赤い波が始まりました。
どんどん赤い面積は広がって
12月には全体が真っ赤に染まります。
毎年この季節になると律儀に赤くなる。面白いものです。

ポインセチア、メキシコではその名もnoche buena(聖夜)と呼ばれています。季節感の薄いメキシコシティで、冬の訪れを感じさせてくれる数少ない植物です。
ちなみにメキシコではすでにnoche buenaという名の冬期季節限定ビールが出回り始めました。これもまたホリデーシーズンの訪れを感じさせてくれるアイテムの一つです。
少し気が早い気もしますが。

10.22.2008

チレもいろいろ


この中で辛いのはどれでしょう↓


メキシコ料理と言えばチレ(唐辛子)!ですが、
チレといってもたくさんの種類があり、
辛さの程度だけでなく、風味や用途もまったく違うそう。
生唐辛子もあれば、乾燥させたものや酢漬けの缶詰チレもあります。

辛いのはどちらかというと苦手な私ですが、生の唐辛子を加えたサルサや
トルタと呼ばれるメキシコ風サンドイッチの付け合わせの
ハラペーニョ(ラヒータ)などにはついつい手が伸びてしまいます。
といってもすごく辛いのでかじる程度ですが。

メキシコ人は料理にだけではなく甘いものにもチリを使うので驚きです。
例えば、マンゴーやスイカなどの果物やシャーベットには
七味のような粉末のチリやチリソースをかけて食べます。
この食べ方は小さな子どもも大好き。
ライフセーバーというアメリカ産のキャンディーがありますが、
セルは小さい頃、この飴に粉末チレをふりかけて食べるのが大好きだったとのこと。
小さい頃から食べ慣れているので、大人になっても平気なんだろうなあ。

さて、冒頭の答えは右から2番目のハバネロでした。
日本でも有名な、世界で一番辛い唐辛子。
残りはチレ・モロンといって、こう見えてもまったく辛くない唐辛子です。

10.11.2008

初めての贈り物

赤子の掛け布団を作ってみました。

生地屋さんに行ってどれがいいかなと柄を選ぶところから楽しい。
悩んだ末に決めた生地もそうなのですが
「クロサワ」という生地屋のものをたくさん見かけました。
日本のメーカー?
輸入しているのかな。

ちなみに中に詰める綿(ワタ)は
スペイン語でguata(グヮタ)といいます。
発音がとてもよく似ています。
語源はどちらにあるのだろう。

暗くなるまでミシンをトコトコ鳴らし、心を込めて作りました。

そして、出来上がりはこんな感じ↓


明らかに中に詰めた綿が寄ってしまっておりますね・・・
まあそれもまた味があってよいということにします。
赤子に気に入ってもらえるといいです。


裏地には彼が気持ちよく眠れるように
綿100%のやわらかい生地を選びました。

この勢いで、ベビーベッドの柵を保護するクッションも
作ってしまおうと画策中です。

そしてついに

かれこれ3週間近く片想いしていたコリアンダーでしたが、
先日ついに芽が出ました!


嬉しいです。感動です。
小さいけれど、しっかりと芽が出ております。
野菜栽培って楽しいなあと、
収穫までまだまだ時間がかかりそうですが。


10.09.2008

Baby Shower

わたくし妊娠31週になりました。
ということで・・・ ベイビーシャワー!!!

うちのパティオで開催。
たくさんの友達に集まってもらえてとても嬉しかったです。


メキシコではすでに一般的なベイビーシャワー(べびちゃわ と発音される)、
アメリカの影響で根付いた習慣らしく
本来は赤子が生まれる前に女性友達だけで集まって
おしゃべりに花を咲かせる催しだったよう。
どっさりのプレゼントで赤子をshowerすることから
この名前がついたらしいです。

And he was showered with...

たくさんプレゼントをもらいました!
ベベちゃん、よかったね。


10月2日

1週間ほど前になるが、10月2日は200人以上の犠牲者を出した1968年のメキシコシティ学生運動(トラテロルコ・三文化広場事件)から40年を数える記念日だった。40年前当時のメキシコ権威主義政権は、いわゆる発展途上国で行なわれる初のオリンピック開催を間近に控えて、政治的騒擾の雰囲気に過敏になっていた。華々しいオリンピックの陰に隠れた政治的抑圧と社会的不平等に異議を唱えて立ち上がった学生たちに対して、政府は軍を動員して運動を弾圧し、不必要な発砲と暴力によって多くの若者たちが犠牲となったのである。

この夏に行なわれた北京オリンピックと中国、チベットの状況にも重なって映る。

運動から40年を経た記念日には、メディアや集会などを通じて多くの特集が組まれ、68年の出来事を問い直すよい機会が設けられていたように思う。一方で、街でデモを行なった若者の一部が暴徒化し、警察らに対して破壊的な行動をとっていたのは非常に残念だった。彼らは68年の若者たちがどのような思いで政府と立ち向かい、そして亡くなっていったのか、しっかりと考えてみたことがあるのだろうか。少なくともニュースに映った彼らの姿にはイデオロギーのかけらもなく、記念日を自らのお祭り騒ぎの口実として利用しているだけのように見えた。

またその一方で、メキシコにおける政治的自由がまだ途上にあることを思わせる出来事もあった。カルデロン大統領は演説において、トラテロルコの学生運動で追求された政治的自由が今日のメキシコにおいて現実となったと誇らしげに述べたが、この演説中に「お前は偽の大統領だ!」と野次をとばした一学生が演説終了後に一時警察に拘束されるという、なんとも皮肉な事態となった。野次の内容はともあれ、政治的自由を謳う演説とは裏腹の政治的非寛容。これもまた、依然としてメキシコの現実なのである。

この国にいると、公憤を感じざるを得ないことが多い。まだまだ道のりは遠いと、そんなことを思った10月2日だった。


10.02.2008

窓辺には

うちにはいろんな動物が住んでますけれども
あら ここにはペンギンさん


タコスとトルティージャスープが大好き
将来はチャロになりたいそうです(メキシコ風カウボーイのこと)


待つ気持ち

先日コリアンダーの種をまきました。
メキシコでは「シラントロ」といいます。

発芽を待つのって、恋に似てる。
毎日毎日こっそりのぞきに行っては片思いです。


隣にまだスペースがあるので、今度は苗で植えてみようかなあ。



こちらは階下に住むおばちゃんからもらった鉢。
すみれのような花が咲く予定ですが、まだ時間がかかっています。
おばちゃんとまだかしらねえとこれも片思い中。


9.18.2008

最近のお米

最近メキシコシティの日本食材店で買ったお米がとてもおいしくて、再びお米主食の生活を始めた。「玉錦」は、カリフォルニア産こしひかりとゆめごこちを合わせたお米らしい。5キロで2000円くらいで、味は日本米そのもの。

ごはんに実家から送ってもらった「しそ入りひじきごはんの素」をかけるだけで、お茶碗2杯はいけてしまいます。

ちなみに炊飯器は普通の日本のもの。メキシコでは、変圧器等なしで使える。逆に変圧器を使うと壊れるらしい。



やっぱり日本人にはお米ですね。


9.05.2008

マヌエル・アントニオ国立公園 (Costa Rica 1)

8月16日から約2週間、中米のコスタリカに行ってきました。
米州人権研究所のサマーコースに参加することが最大の目的でしたが、週末などを利用してコスタリカの大自然に触れることができました。

コスタリカに到着してすぐの週末は、太平洋岸にある国立公園マヌエル・アントニオへ。

道を歩いていると数人の観光客が宙を見上げている。なにかと思って近づいてみると、おさるさん発見!リスザルかな。かわいいです。その他にも公園内では、きれいな色の蝶や鳥、ナマケモノ、サワガニなどの動物や、見たこともない色や形の巨大キノコなどを目にしました。


前夜の豪雨でぬかるんだ小道をひたすら歩き、靴を脱いで川を渡り、さらに歩くこと1時間、ようやく小さな滝にたどりつきました。自然の中でのこんな達成感って久しぶり。ひんやりとした冷たい水や、体を支えるためにつかむ木の幹の感触、湿った木々の匂いをとてもなつかしく感じました。

コスタリカには10以上の国立公園があって、多くは首都サンホセからバスで3、4時間程度で行くことができます。観光大国で、たいていの場所でドルが使えます。コスタリカの通貨「コロン」は、桁が大きくて非常に使いにくかった。1ドル約550コロンなので、レストランのメニューも2500から6000コロンと、ぎょっとする数字なのです。

コスタリカの人は、田舎でもサンホセでも、素朴で親切な方が多い印象を受けました。道行く人に道を尋ねたときのこと、「その場所ならさっきうちを出た主人の仕事場に近いから、もう少し早く言ってくれれば送っていけたのに!」と言われてびっくりしたり。世話好きなメキシコ人にも勝る人の良さです。

マヌエル・アントニオからサンホセは、バスで約4時間ですが、今回はあまり時間がないため飛行機で移動。15分くらいのフライトの予定。が・・・

↑帰りの飛行機に乗る前の、まだ余裕のある私。

帰りは離陸したものの非常に天候が悪く、サンホセの空港が濃霧で閉鎖してしまったのです。飛行機であんなに怖い思いをしたのは初めて。飛行中も巨大な窓(本来景色を楽しむ短時間飛行なので、写真のように普通の飛行機に比べてずっと窓が大きく作られている)から見えるのは真っ白な霧のみで、一瞬霧が晴れて真下に滑走路が見えたと思ったら、うまく着陸できずまた上昇してしまいました。あれほど「陸地に帰りたい・・・」と思った瞬間はありません。

ほとんどアメリカ人の乗客約15名を乗せた機内では、はっきりとした機内アナウンスもなく、予定飛行時間の15分もとうに過ぎ、なんだか不安な空気が流れるけど誰も口を開こうとしないという状況。霧の中で小さな機体が揺れるたびに、無事に陸地に帰れることを祈りました。約1時間ほどたって、ようやく霧が晴れ、前方に滑走路が見えました。そして、無事着陸。着いたのはニカラグア国境に近いリベリアという町で、当時コスタリカ国内で唯一閉鎖を免れた空港だったとのこと。サンホセで2回着陸を試みたがダメで、マヌエル・アントニオに戻ったがここもすでに濃霧で閉鎖されており、リベリアに向かったというのがパイロットの説明でした。

結局リベリアからバスで約4時間かけて、車内満員のため乗車口の階段に座って運転手の超スピード運転に耐えるという飛行機とはまた違ったスリルを味わいながら、なんとかサンホセに無事帰り着いたのでした。(ここでは(超)高速バスでも立ち乗りが常識)。

いろいろと冒険のある旅でした。



8.14.2008

ポンジュースとメキシコの意外な接点


先輩が日本からおみやげに買ってきてくれました。
ポンジュースのチロルチョコ。

チロルチョコ美味しい。チロルチョコしあわせ。

ポンカン色のチョコの中に、ポンジュース味のゼリーが入ってました。

包装もかわいい。よく見ると、メキシコ国旗の色使いと同じです。メキシコの国旗は、イタリアと同じ緑・白・赤の三色旗の真ん中に、蛇をくわえた鷲がサボテンの上にとまっている絵が描かれています。

北京オリンピックの競泳など観ていると、たまに「あれ?4位メキシコ?!」とか思うことがありますが、イタリア国旗の間違いだったりします。メキシコ人はあんまり泳げないしねえ。

8.12.2008

アレックスとエステバン



先週タンピコから総勢5名で甥っ子たちが遊びにきてくれました。私はちょっと元気のないときだったので、彼らの元気さには救われた気がします。少し元気すぎましたが。

写真はメキシコシティ中央広場ソカロにて、5歳のアレハンドロと、1歳のエステバン。二人は従兄弟どうし。二人は(基本的に)仲良し。

彼らの滞在で、我が家はとても子ども向きの家ではないことに気がつきました。こまごましたものが子どもの手の届くような低い位置にたくさん置いてあって、エステバンはすべてを触って遊びたくて仕方のない様子。カラーペンのセットとか、色とりどりのポストイットとか、テレビやDVDのリモコンとか、そういうのも大好きみたいで、彼の目に入ったら最後、手に入れるまで泣きわめく・・・。どこにそんなエネルギーがあるのかというくらい走り回っては、ぐずったかと思うとこてっと寝て、起きたらまたも永遠に走り回っていました。

アレックスはもう5歳とはいえ、エステバンに対してライバル心もあります。傍からみていると微笑ましいのだけれど、エステバンに負けじとおじいちゃん・おばあちゃんに甘える彼はとても必死。追いかけっこなんかでも本気でエステバンを負かし、エステバンはまた泣き出す始末・・・。そんな「大人げない」アレックスの気持ちも、私も長女だからなんとなくわかる気がしてかわいいのでした。

それにしても、2人の男の子というのは本当に大変です。家が動物園になったかと思いました。これが3人になったらどうなるんだろう。

8.05.2008

不条理さへの対応

トラスカラからの帰り道、渋滞で混沌としたメキシコシティ・セントロ地区のはずれあたりを運転中に、信号を左折したところで警官から呼び止められた。

「信号はよく見て運転しないといけないねえ」

一瞬何のことを言っているのかわからない。私はこの混沌としたメキシコシティにあって、黄信号でもなるべく止まるようにしているし、歩行者には道を譲るし、他にも日本並みに交通マナーを守って運転している自負がある。今だって、黄信号に変わったので速度を下げて信号で止まったし、きちんと左折ランプを出して信号が青に変わったのを確認してから左折したのだ。そんな私に信号を守れとは何事か。私にそんなことを言う暇があれば、注意しなければならない人たちは他にいっぱいいるではないか。

腹は立つものの、外国人ということもあるしやや怯えている私をよそに、助手席に乗っていたセルは強気で「だいたいあなた、交通警察なんですか」とかきいている。交通に関する取り締まりは、普通の警察ではなくて交通警察と呼ばれる人たちしかできないことになっている。警察に腐敗の多いメキシコでは、警察が運転手に言いがかりをつけてお金をとることも少なくなく、警察の役割が分けられている他、交通警察の中でも罰金をとることのできる者は限られているのだ。

警官は「もちろんだよ」と腕章を見せながら言い、「免許証を見せてもらおうか」と言ってくる。そこで、セルのつけていたメキシコシティ連邦区の職員証に気づいた警官は、「なんだ、同僚なのか?どれどれ、ちょっと見せて・・・」と車の中を覗き込むが、セルは相変わらず強気で、「私たちは何も法を犯していないし、あなたたちに理由なく身分証を提示するよう強要する権利はないはずだ。交通法を遵守して運転しているのだから、免許証も見せない」とか怒っていて、私は内面はらはらしていた。言葉に詰まった警官から、「まあいい。もう行ってよろしい」と言われほっとするが、セルは「あなたの方こそもう行ってよろしい」とか最後まで強気。彼は普段はおとなしいのに、権力の不条理な乱用などとなると本気で怒る。

そんなわけで、幸運にも事なきを得たのだが、セルに後から私の車の数メートル先で同じように他の警官に止められていた車はソノラ州ナンバーだったと聞き、ぞっとする。他州ナンバーや外国人の運転する車は、どうしても警察のいいがかりを受けやすい。もし私一人のときに同じことが起こったら、なかなか強気での対応はできないだろうなあとも思う。理由なく捕まるかもしれない、というのは、本当に恐怖である。警察がプロフェッショナルな仕事をする世の中が実現されることを祈りつつ、そんな日本ではほぼ当たり前だと思っていたことの尊さを実感するのだった。


トラスカラへ

金曜日、セル(夫)がトラスカラに出張というので、以前からトラスカラのことが少しだけ気になっていた私もついて行くことにした。トラスカラについて知っていることは二つ。メキシコで一番小さな州であること。それと、スペイン人がアステカ帝国を征服したとき、トラスカラ人はスペイン人に味方したこと。

道中カメラを忘れたことに気づく。トラスカラでは、写真におさめたいと思ういくつもの風景に出会うことになるのだが、カメラの目に頼らない旅の方が記憶に強く残ることもあると自分を慰めた。

トラスカラ州の州都トラスカラの町はコロニアル調の「メキシコらしい」町並みで、小さいながらも整然としていた。意外なことに、割と観光客が多い印象を受けた。メキシコシティではそうでもないのだが、田舎に来ると自分が外国人であったことを思い出す。すれ違う人々は、珍しいアジア人の顔を遠慮のカケラもなくじろじろと見てくるし、ベンチに座っていると小さな女の子二人がわざわざ引き返して私の顔を覗きに来たりして、目が合ってうふっとかわいらしい笑顔を見せてくれたりする。そういえば、日本に遊びに来てくれたメキシコ人の友人二人が以前、「東京のクラブで自分たちのことをあたかも空気のように、その場にいないかのように扱われて、誰も目を合わせてくれなくて寂しかった」とこぼしていたことがあった。日本人にとっては、あんまりじろじろ見ると失礼だ、と思ってのことだと思うけど、いろんな感じ方があるものだなあとはっとしたことを覚えている。メキシコ人はそんなにじろじろ見なくてもと思う反面、素直に興味をぶつけて目が合えば微笑んでくれるくらいの方が、健康的でいいのかもしれないね。

中央広場の脇に隣接した小さな広場の真ん中には、ナントカという難しすぎる名前の英雄の銅像があった。なぜ英雄かというと、トラスカラ人が国を挙げてスペイン人を援助していた中で、唯一最後までスペイン人を相手に戦おうとした人だからだそうだ。これもなかなか複雑である。今日のメキシコは、スペイン人による征服がなければなかったわけで、そうするとスペイン人を助けたトラスカラ人はとても重要な仕事をやったわけで、でも現在のメキシコの地をスペイン人から守ろうとした彼はやっぱり英雄、という・・・。「祖国のために戦った英雄」はどこの国にも必ずいるものだけれど、そういう話にはいつも落とし穴があるものだ。

夕食を終えて外に出ると、広場の中央にあるキオスクから陽気なリズムが聞こえてきた。小柄な女性の歌い手が、この体のどこからそんな声が出るのだろうと思うほどの声をあげて歌いながら、メレンゲやサルサのリズムにあわせて体を揺らしている。まわりには地元の家族連れや恋人たちが集まり、思い思いにリズムをとっていた。

 泣いてる暇なんかないさ
 人生はカーニバル
 歌っているうちにあっという間に過ぎちまう

こんな歌詞がものすごく説得力をもって聞こえるトラスカラの金曜の夜。踊っている人々のうちに70歳くらいの男性がいたが、彼の踊りは飛び抜けて上手だった。年齢を思わせない足腰とお尻の動きで、相手の女性(40歳くらいだろうか)をリードしながら、この夜こそが永遠であることをあたかも確信した様子で、確かなステップをとっていた。


 

7.17.2008

外国語と数字

外国語をある程度話せるようになると、
頭の中での「日本語→外国語」の翻訳をやめて、
直接外国語で考えて話せるようになる。
例えば「猫」と言いたいときは、
猫の概念→猫→cat
という順序をたどるのではなく、
猫の概念からそのままcatに飛べるようになる。
文章を話すときでも同じように、
いちいち日本語から翻訳しなくても、
伝えたいことを直接外国語で考えて
文章を頭の中で構築しながら同時に話せるようになる。

しかし、この法則が唯一当てはまらないものがあることに最近気づいた。
それは、数字。

こないだ、近所のタクシー会社の電話番号を尋ねられた。
番号は、5651-4641 とわりと覚えやすい。
私はこの番号を「ごーろくごーいち、よんろくよんいち」
と記憶していた。
とっさに答えようとするけど、スペイン語だとなぜかうまく出てこない。
頭の中で「ごーろくごーいち、よんろくよんいち」
をスペイン語に翻訳する作業が必要だったのである。

外国語で数字を言うのが難しいのか、というとそういうわけでもないようだ。
例えば自宅の電話番号は、「しんくぇんたいせいす、おんせー・・・」
とスペイン語で覚えているので、
逆に日本語で電話番号を尋ねられると、えーっと、なんだっけ・・・となる。

また、日本語と外国語をごちゃまぜにしての暗算もかなり難しい。
スペイン語で「178+58は?」と尋ねられると、
スペイン語で答える方が早い。
日本語で答えるには、問題をまず日本語の数字に翻訳しないと、
スペイン語で暗算しながら日本語で答えを出すのは相当難しい。

なんで数字だけ、頭の中での翻訳作業が必要なんだろう。
それは、数字が本来完全に抽象的な概念であるために、
実は私たちは知らず知らずのうちに
数字を言葉にものすごく近づけて把握しているからなのではないか、
というのが私の仮説。
抽象的な概念はもちろんたくさんあるが、
数字ほど頭の中で作られた人工的な概念はない。
数字の「5」は、本来どこにも存在しないのである。
このため、「5」という数字は「ご」「five」「cinco」という言葉と
視覚、聴覚的にものすごく近く認識されていて(便宜的に)、
頭の中で復元作業を行なわない限り、
他の言語に訳すことが難しいのではないかと思う。
つまり、庭でニャーニャー鳴いているねこは
「猫」でも「cat」でもどうとでも呼べるのだが、
数字の場合は庭のねこほどの手がかりがないために、
その便宜的な記号を自由に取り替えることが困難なのだろう。

どうなんだろう。本当のところを知りたいものです。



6.28.2008

国民の誇り

写真は現在ヴェトナム・ホーチミンで行なわれているミス・ユニバース大会、「国民的衣装部門」で10位内に残った、メキシコ代表エリサ・ナハラ。

もちろん、彼女がとってもかわいいことにも目がいくのだけど、それより注目してしまうのがこの衣装!!
なんか、ピラミッド着てます・・・!!

全身が写っていないため、下の写真ではこの面白さの半分も伝えきれないことが残念なのだが、彼女の着ている衣装は、世界遺産であるチェチェンイッツァ遺跡をモチーフにしたもの(ユカタン半島にある有名なマヤ文明の遺跡です)。ドレスの広がっている部分がそのままピラミッドになっていて、階段はもちろん下の方についている蛇の頭まで巧妙に表現されています。ウエストの部分には、ピラミッドの頂上にある祭壇が見えます。彼女の頭に乗っているのはナニ文明かわかりませんが、きっと「雰囲気」なのでしょう。

ピラミッドをまとってこの笑顔の彼女に、ミス・ユニバースになるのも大変だなあと感心。

写真奥の方に写っている派手な民族衣装を着たマレーシア代表が、とても地味に見えます。

さすがにまわりはみんな民族衣装の中、この発想はすごい。ぜひ優勝してもらいたいなあ。


6.26.2008

コミーダ・コリーダを食べに

メキシコ版お昼の定食を「コミーダ・コリーダ(comida corrida)」という。

はじめにスープ、次にメキシコ風ご飯(ピラフみたいなもの)かパスタが出て、肉や魚などのメイン、最後にゼリーやプリンといった簡単なデザートがつく。メロンやタマリンド、スイカ、レモンなどを搾ったフレッシュ・フルーツのジュースも料金に含まれていることが多い。値段には幅があるが、だいたい400円から500円程度。街にはいくつもこのコミーダ・コリーダを出す定食屋さんがあって、お昼時には近くで働くサラリーマンやOL、学生たちでいっぱいになる。屋台と並び、まさにメキシコの母の味。

だいたい昼食は家で済ませる私だが、最近は気分転換と野菜を食べることを目的に、近くのコミーダ・コリーダ屋さんに出かけることが多い。うちの近くの定食屋さん、よく考えたら名前も知らないのだが、威勢のよいおばちゃんが元気に応対してくれるお気に入りのお店。

いつも元気なこのおばちゃんは、オーダーをとったり料理を運んできてくれるときに、私のことを必ず母親が子どもに対して言うような調子で、「かわいいお嬢ちゃん」(①chaparrita:直訳すると、背の低いぽちゃっとした女の子のこと。②mi vida:直訳すると、私の生き甲斐=いとしい人のこと。)と呼ぶ。私は背が低くもぽっちゃりもしていないし、おばちゃんの娘でもないのだが、メキシコでは(特に大衆文化的に)こうした「大げさな」呼びかけをわりと普通に耳にする。字義通りの意味は薄れ、単なる親しみを込めた呼びかけとして定着しているのだろう。

初めて店に行ったときからこうした調子なので、普通のことだとわかってはいても、けっこうびっくりしてしまう。でも、親しみをもって呼んでくれることに、決して悪い気はしない。しかも、店に来るみんなを包んでしまうようなおばちゃんのおおらかな人柄が、まさに「母」の暖かさをもっていて、こうしたやりとりにもすぐになじんでしまうのだ。それぞれの定食屋には、それぞれの看板母の姿あり。こうした暖かみも、コミーダ・コリーダの魅力かもしれない。

6.24.2008

News Divine事件

先週の金曜日、久々に雨が降らずまだ太陽の高かった夕方、メキシコ中を怒らせる悲劇が起こった。

メキシコシティ北部のとあるディスコ"News Divine"、夕方5時の時点で店の前には200人が列を作り、店内は最大収容人数をはるかに上回る600人もの中・高生の若者で満員状態だったという。ちょうど今メキシコは中学、高校の卒業式の時期。卒業を祝う少年たちが、少し大人の格好をして友人たちとディスコに繰り出していた。そこで起こった悲劇。

この店は以前から、未成年者にお酒やドラッグを売っているとして数回メキシコシティ(連邦区)政府から強制閉鎖されていた。この日も数ヶ月前に閉鎖が解かれたばかりだったらしい。そして、どういうわけかこの金曜日の夕方、警察は200人を動員しての立ち入り検査に踏み切った。「中にいる客の一人も外に出さないように」との市警局長*の指示の下、店の裏口から外に出ようとする若者たちは警官によって道を塞がれ、暴行を受けた。それを見た若者たちは、怯えてディスコ内に戻ろうとする。小さな店の小さな通用口に、600人が押し寄せ、さらに逆流を作る。その結果、窒息や転倒、さらにはある筋によれば警官の暴行によって、多くの未成年者を含む12人もが死亡し(そのうち3名は警官と検察官)、18人がけがをするという、大惨事となった。

警察は、作戦に誤りがあったとして市警局長を停職処分にしたものの、今回の惨劇の責任者はディスコのオーナーであると主張している。店の所有者に酒・麻薬販売、また定員を越える人数を店内に入れたという責任があることは間違いない。しかし、責任としてより重要で、こうした事件を再び起こさないためにもきちんと追及されるべきなのは、警察の組織的責任であろう。

200人もの警官を動員して、警察は何がしたかったのか。卒業で沸き返る金曜の夕方、600人の少年を狭い場所に閉じ込めまわりを取り囲むことで、何をしたかったのか。600人の少年を逮捕することが目的だったのだろうか。効率性よりも派手で人目を引くことを重視している作戦が多いと、警察はこれまでにもたびたび批判を受けてきた。(派手なオペレーションは写真に撮ると「絵になる」ので、市民やお上に「仕事をしていること」を強調しやすく、好まれる。)わざわざこの日この時を選んで200人を動員しなくとも、不法な店を取り締まるもっと効率的なやり方はあったはずである。また、まだ13、14の少年たちが、200人の警官を前にしてパニックを起こすことなど、少し考えれば誰にでも予測できることだ。

この事件で、市民社会およびメキシコシティ人権委員会のような第三者組織が、どれほど事実解明に貢献し、警察<権威側>の責任を追及できるかは、メキシコの民主主義にかかわる重要な問題であると思う。しかし、メキシコに限らず、日本でも官庁などが組織的に事実をもみ消したり、責任の所在がよくわからないまま終わるのは、それほど珍しく聞こえる話でもない。先進民主主義国のカテゴリーの上にあぐらをかいていてはいけないはず。


*この場合、「市」とはメキシコシティ内の下位の政治地区単位のこと。東京都でいうと、区と市にあたる。


6.21.2008

メキシコで新聞購読

メキシコで新聞の購読を始めた。やはり新聞は紙面で読むのが私には向いているようだ。インターネットで読んでいてもあまり頭で考えながら読むことができないのだが、紙だとなんとなくそこに残っているという安心感からか、紙との間の距離の近さからか、自分のペースで読み進めることができる。

メキシコはキオスクが街のいたるところにあるので、以前は道ばたで新聞を買っていた。実際、新聞を家で購読している層はそれほど多くないのではないかと思う。しかしそうすると毎日かかさず買うというわけにはいかないし、出先で読むという中途半端な読み方になってしまうので、今こうして毎朝新聞が家に届けられる状態を気に入っている。

メキシコの主要な新聞では、批評家やジャーナリストだけでなく、著名な研究者の時事的事柄に関するコラムを毎日読むことができるのが良い。日本でも大学教授などがテレビや新聞に登場することはもちろんよくあるが、メキシコではなんというか、もっと豪華な顔ぶれというか、優れた研究者が日本よりも積極的に新聞やテレビで自分の意見を述べているのを目にする。現実の政治、学術的研究、市民/世論の距離が近く、そこにはメディアの存在が大きいように思う。

興味のある記事をはさみで切り抜いてファイルに納めるのが最近の日課となった。パソコンに向かう日々の中で、アナログに切り抜かれた贅沢な時間。

6.17.2008

事実は小説よりも

マイケル・ムーアのSickoを観た。アメリカの医療保険制度について扱ったドミュメンタリー映画。ムーア自身が語りかける。「ほかの国にできていることが、なぜアメリカにできないのか」。

アメリカには国民皆保険制度がない。(一部の高齢者および障害者医療を除いて)公的医療保険がないので、人々は民間の保険会社を利用している。しかし、保険料が高くて払えない人や、何らかの疾病を有するために加入できない人など、医療保険を持たない人口は5000万人に達するらしい。実際イェールの学生にも、家族が医療保険に入っていないと話してくれた人がいた。また、保険に加入していても油断できない。病院に行く前に事前に保険会社の許可がおりないと医療費を償還してもらえなかったり、保険会社との提携のある病院でしか診てもらえなかったり、治療に必要な手術などを申請しても「効果が確実に見込めない」との理由から却下されることもある。

映画を観ていて、アメリカの医療保険制度は、営利基本の資本主義の弊害が見事に現れた事例である気がした。保険会社は自己の利益を増幅させるために、なるべく支払い拒否の理由を見つけようとする。結果、保険会社はその資産を増し、診療拒否に協力的な医師の評価が上がることになる。医療サービスは必要に応じてではなく、患者の資産に応じて供給される。

もちろん、いかにも悪徳なこの医療保険制度の描写には少し偏りがある気がしないでもなかった。民間の保険によって救われた命もあるだろうし、また、イェール大学にもあったが、民間NGOなどが保険を持たない人や移民に、無料または廉価で医療サービスを提供するようなシステムも地域ごとにあるようだ。しかし、システム全体の根幹的な問題を怖いほどありありと描き出した点で、やはりこの映画の功績は大きいのではないかと思う。

人は健康なときにはそのありがたさを日々実感することを忘れ、また医療費に関しても漠然とした認識があるだけで自分とは関係のないものと思って過ごしている。これは至極普通のことだと思う。体を壊したときに初めて、健康であることのありがたみを実感し、治療や薬にかかるお金についても不安を抱くことになる。病気のときに、安心して医療サービスを受けられ、治療に専念できる環境にあること。健康なときに個人で備えをしておくことが難しいからこそ、こうした環境を少しでも整えておくのは政府の役目なのではないだろうか。もちろん政府は、制度の透明度を増し、より国民の信頼に応える制度を作っていく必要があるだろう。

かくいう私もここメキシコでは、日本ではちょっと考えられないくらい高い保険料を払い、民間の医療保険に加入している。メキシコはメキシコで医療制度の問題は大きいのだが、それはさておき、たとえ制度に無駄や不足があるとはいえ、日本の医療保険や生活保護などの制度は、あるだけマシである気がしてくる。必要に応じて病院に行けるなんてすばらしい。自分やその家族が、病気になったときの心配をすることなく平穏に暮らすことは、皆に認められるべき最低限の権利であるはず。世界的にみてこの達成は簡単ではないが、いい方向に向かっていると信じたい。

5.17.2008

世界の始まりの夜に

昨晩は先週の金曜に引き続き,イスラエル人のオリの家族が夕食に招いてくれた。

ユダヤ人にとって,金曜の夜は家族で過ごす特別なものだそう。
ユダヤ教では土曜日が聖なる休息日なのだけど,
旧約聖書のはじめのくだりに
「はじめに闇があった。次に光が来た」
とある通り,一日は闇,つまり夜から始まるという考え方から,
実質的には金曜の夜から休息日がはじまるのだという。

オリ家には,5歳になるグリちゃんことアビガイルちゃんと,
去年生まれてすぐにアメリカに連れてきたアッサフ君の二人の子どもがいる。
お祈りの言葉を唱えてろうそくをともす儀式にグリちゃんはご満悦。
お祈りの言葉もすらすら言える。
銀の器にそそがれたワインを回し飲みするのだけど,
まだ1歳にならないアッサフくんの口にもワインを少しつけてあげたりしてて
乳児にいいのか?!と不安になるけど別に普通のことのよう。

それでもオリの家は,決して宗教に熱心な方ではないらしい。
同じくニューヘイヴンに住む友人家族などは,
休息日にはなにもしない,ということを徹底していて,
例えば料理も土曜日の夕方までの分を
金曜の日が暮れるまでに作り置きしておくのだという。
しかも元来毎土曜日は盛大な祝日であるらしく,
肉・魚など豪華な料理を準備するのがしきたりらしい。
毎週誰かの誕生会(の準備)があるような感じだろうか。
大変そう~と思うけど,毎週家族で過ごすゆったりした時間が
あるというのは,なかなか楽しいのかもしれない。

食事を終えてお茶を飲む。
オリの奥さんのイファットは「早く三人目がほしいのよ~」と
グリちゃんを抱きしめながら話してくれた。
常に国防,国の存続,パレスチナ問題など
さまざまな懸案をかかえるイスラエルでは,
子どもこそが未来の国を支える重要な存在。
それに加えて子ども好きのお国柄ということもあり,
イスラエルで妊婦さんは,どこにいっても敬意を向けられ
特別優待され放題なのだという。
イファット自身もフルタイムでばりばり働く女医さん。
働く女性にやさしい国なのだそうだ。

イスラエルって,毎日どこかで爆発とかあって,
恐ろしい国というイメージしかなかった。
きちんと人々の暮らしがあって,
一人一人が人生を生きてるんだなあと,
当たり前のことを実感。

ところで,今でこそ大人顔負けの語彙力をもっているグリちゃんも
(もちろん私にはヘブライ語はわかりませんが,
聞いてて大人みたいにしっかり話していることはなんとかわかる)
話し始めたのはすごく遅かったらしい。
2歳になっても単語すら話し始めなかったのが,
2歳半からいくつか基礎的な言葉を話し始め,
3歳になるころには子どもとは思えないほどしっかりと話すようになったとか。
2歳のころに「そろそろセラピストに相談に行ったほうが…」と
心配していた保育園の先生も,1年後には
「グリちゃんが言ってることが難しすぎて他の子どもにわからない」
と正反対の心配をするようになったそうです。

子どもは千差万別で,それぞれの性格,テンポがある
というのがイファットの結論。
育児にはげむ世界のママたちも頑張ってね。

5.08.2008

つながって,今

9ヶ月にわたるアメリカ留学も,いよいよ終わる。
昨日,プログラムのお別れ夕食会があった。もうそんな時期かとしみじみ。
プログラムの創始者92歳のジョー・フォックス氏の言葉がとても心に残った。

「人と人とのつながりが,フォックス・プログラムをここまで広げてきた。
自分はいつも出逢う人に恵まれてきた。そしてそのことを誇りに思う。
君たちフェローがそれぞれの国に帰っても,
妻と私のことを,ニューヘイヴンの友人として,ときどき思い出してほしい。」

とても気さくな彼は,この9ヶ月の間にも私たちをそれぞれスポーツ観戦や夕食に誘ってくれた。
第二次大戦中にコロンビアで3年過ごしたとかで,スペイン語が上手。
私と話すときもスペイン語で話してくれる。
フェローの名前をきちんと覚えて,一人ひとりにかかわろうとしてくれた。
自然と彼の周りに人が集まるのもなんとなくわかる気がする。

それにしても,アメリカ留学も終わりとは。
この9ヶ月でいったい何を学んだんだろう。

留学といえば,思い出すこと。
まだ学部の4年生だったころ,どうすればスペインに留学できるかと思いあぐねていて, 国際交流機構だったかが主催していた留学フェアに行ってみた。 スペイン語のブースには,たしかスペイン留学経験のあるどこかの役所の女性がいた。 さっそくスペインに行きたい旨を話して助言を求めると,このように言われた。

日本でしっかりスペイン語の基礎をやっていかないと,スペインに行ってもついていけない。逆に言えば,語学の勉強は日本でもできる。まずは日本で頑張るのが先だろう。また,日本で大学に行けるのに,わざわざスペインに行きたい理由はなんなのか。目的をはっきりさせて行かないと,向こうに行ってもなにも身につかない。

てっきり,どうすればスペインに行けるか具体的に教えてもらえるものだとばかり思っていたから,こんな風にいわば「留学する段階にない」みたいに言われて少なからずショックを受けた。(だからこそ今でもこうして覚えている)

あれから5年。
メキシコやアメリカに留学する機会を経て思うのは,
彼女は間違っていた,ということ。
これから留学したいという人に相談されれば,
私なら絶対,「チャンスがあるなら行け!」という。
目的が漠然としていてもいい。
言葉を話せなくてもいい。
とりあえず行ってみたらいい。
すべてはそこから始まる。
留学それ自体に価値はない。
でも,留学はいろんなことの「きっかけ」になる多くの要素をもっている。
これは留学の素敵な副作用だ。

新しい出逢いがある。
未知の価値観がある。
初めての音,初めての味,初めての感覚がある。
想像もしなかった人々の生活がある。
味わったことのない挫折感や失望もあるかもしれない。
これらはもちろん,日本にいても起こりえること。
だからといって,留学をためらう必要はない。
行ってみないとわからない。人の体験談は人のものでしかないから。

なんだかまだこの9ヶ月のことはうまく捉えきれていないけれど
きっとこれからの私を作る大事な要素になったかな。

写真はジョー&アリソン=フォックス夫妻と。

4.19.2008

肩の力を抜いて,パスタ


久しぶりにパスタが食べたくなって,夕食に作った。具材はトリ・ホウレンソウ・トマトとにんにく。とってもおいしくできました。私にとってパスタはどちらかというと家の残り物片付けメニューで,はじめから○○のパスタを作ろう,と思って買い物に出かけることはあまりない。家にあるもので,なんとなくその日の気分の味付けで作る,一期一会な料理。

材料も調味料もすべて気分と目分量だが,「とりあえずこうやればおいしくなる」と信じ込んでいていつもやることがいくつかある。

  1. ゆで水にはたくさん塩を入れる。こぶし一握り分
  2. ソースを作るとき,オリーブオイルは「こんなに?」と思うくらいけっこう使う。こうするとコクが出る。
  3. にんにくは包丁の背中でつぶして,オリーブオイルを熱する前から入れる。中火で熱してにんにくの風味をうまく出す。
  4. ソースに余計な塩はふらず,塩気にはゆで水を加える。

今日は隠し味にしょうゆを少々。邪道だといわれようが,日本人にはやっぱりしょうゆ。味が落ち着きます。

そういえばパスタって,私にとって縁深い料理かもしれない。一度たりとも同じ味はないけど,その味にまつわる風景や会話が,すべて昨日のことのように思い出される。長崎にも下北沢にもシチリアにも,一瞬でタイムスリップできる。きっと今日のけだるく暖かな昼下がりのことも,トマトしょうゆのこの味が記憶にとどめてくれるはず。

4.18.2008

マイケル・ドイル教授の話から

マイケル・ドイルという有名な国際政治学者のレクチャーがあった。
彼の新しい論文について。テーマは,「一国はいつ戦争を始めることができるのか。予防戦争は可能なのか」 (「アメリカはいつ戦争を始めることができるのか」だろ!とつっこみたくなりますが)

19世紀に起こったキャロライン号事件(自衛権行使の要件を確立したといわれている)のように,明らかに自衛権行使が正当と認められることはほとんどありえないけど,イラク戦争時のブッシュ・ドクトリンはあまりに判断が早急すぎた,という問題意識から,彼は自衛権行使としての戦争を開始できる要件について語った。その中で彼は,まずは国連の安全保障理事会の決議を待つべきで,しかし,その承認が得られない場合でもその結論が政治的で不当であり(特に常任理事国の拒否権),戦争の正当化が可能な場合は,適宜他の国際機関等に持っていくべきだと言っていた。ちなみに,安保理事会は承認しなかったものの,自衛戦争として正当化可能な事例として,キューバ・ミサイル危機と1981年のイスラエルのイラク原子炉爆撃事件をあげていた。

彼は,1980年代に「デモクラティック・ピース論」を展開したことで有名な学者だ。デモクラティック・ピース論というのは,「民主主義国どうしは戦争をしにくい」という法則を経験則的に証明しようとしたもの。昨日のレクチャーでも,「私は民主主義をすごく信頼しているんだ」と話していた姿が印象に残っている。民主主義を信頼し,そして国際機関の役割に重きを置いている彼の話は,「どうにかして少しでも戦争を起こしにくくできないか」という発想に基づいているような気がした。ケンカの売り方・買い方を枠に入れて,審判もおくことによって。正直に言って,そういう彼の姿勢はすごく真摯なものに見えた。

でも。
逆に言うと「正当な戦争」があるということが,やはり私には信じられない。
例えば日本でも北朝鮮の問題があるし,実際に危機や戦争があるのだから,ラブ・アンド・ピースを語るだけでは,現実から目をそらしているだけだと言うのもわかる。
でも。
ただの人間として,戦争はだめだ,絶対にいやだと泣き叫ぶ側でしかこれからもありえない気がしている。

4.17.2008

妙に気になっている州の話

アメリカの気になる州ベスト3を発表します。

1位 アイダホ!

アメリカの野菜やフルーツは,きれいに見えるものに限って味がなく,あまりおいしくない。そんな中,アイダホ・ポテトはこの法則の真反対をゆく素晴らしいじゃがいも。

見た目は濃い土色で,ごつごつしていて形もいびつ,そして無駄にデカい。美しい金色のまあるいじゃがいもや,サラダや煮込みにも映える小さな赤いポテトの上品さ,控えめさに比べると,どうみても粗野な育ちが目立ってしまう。おそらくこうした理由からだろう,値段はダントツで一番安い。はじめはその安さにひかれて買ってみたのだが,これがほくほくしていて甘くてとってもうまい!他の上品イモより断然うまい。それ以来,じゃがいもはアイダホ・ポテトと決めている。

こんな正直な味の(そして姿の)じゃがいもを作ってる人が住んでいるアイダホ州は,きっといいところに違いない。気になります。

2位 ヴァージニア!

ワシントンに行ったときのこと。
夕方,リンカーン像やヴェトナム戦争の追悼碑がある辺りを友達と一緒に歩きながら,映画「硫黄島からの手紙」および「父親たちの星条旗」で有名なあの石碑を探していた。ヴェトナム退役の人がミリタリーグッズを売っているスタンドで「イオウジマの石碑ってどこにありますか?」ときいてみたところ,「あ~,あれはここにはないね。ヴァージニアにあるよ」と言われてしまった。

Va, ヴァージニア~??

ワシントンにある,ってきいてたのに。
残念だね,と話していると,おまわりさんがいたので,念のためもう一度きいてみる。

「あれはヴァージニアにあるよ。ほら,あの橋を渡った向こうに見えるでしょ」

なんと,川を渡るとヴァージニアであるらしい。ヴェトナムのおじさんも,それならそうと言ってよ。すごく遠いんだと思ってた。
ちなみに国防省「ペンタゴン」もヴァージニア州にある。ワシントンで働く多くの人が,家賃の比較的安いヴァージニアに住んでいるというし,ワシントンの影武者的ヴァージニア州の存在は妙に気になります。

3位 メイン!

私の解釈だと,北東部の人間はメイン州を田舎の代名詞として使っている。「メインの人でもそんなの着ないわよ」的な発言とか。

2月のある日に帰りのバスに乗っていたときのこと。
前に座った男女が,大統領選の話をしていた。どうやら女性の方は,投票しに実家に翌朝帰るらしい。
「へ~,えらいね。実家ってどこなの?」
「メインよ」
「…へぇ…」 (... oh...)

で,やっぱりメインってあんまり話の広がらない土地なのかな~と思いました。

気になります。

4.15.2008

なぞなぞのこと

小さいころ,なぞなぞが大好きだった。
幼稚園の先生になぞなぞ出してぇ~ってせがんだり,
帰りの送り迎えワゴンでも,運転手さんと話せる前の座席の間を陣取って
「なんでもよかけんなぞなぞ出してよぉ~」
と非常にしつこい園児だったな,思えば。

なぞなぞを出す,というのは実はけっこう難しいこと。
なにかある事象に興味をもって,そこに「常識」とは相反する不思議や,普段は気に留めていないけど実は神秘的なものだとかに着目しないといけない。
そこにある,はっとするような事実の複層的観方に出会うのが好きで,
いつも大人を見つけては,なぞなぞを出せとせがんでいた気がする。

最近は大人の側になってしまったので,誰もなぞなぞなんか出してくれない。
かわりに,ふと暇なときや,歩いているときによくなぞなぞを考える。

最近できたなぞなぞ:

1.ヒトとニワトリとイヌの中でひとつだけ仲間はずれがいるよ,な~んだ?


答え。
ニワトリ:なぜなら,ニワトリだけ卵を産むから。
イヌ:なぜなら,イヌだけ四足で歩くから。
ヒト:なぜならヒトだけ十二支の中にいないから。
…という風にいくつも答えがあり,子どもの答えと違ったことを言うというずるいなぞなぞ。でも,子どもの回答の理由を聞くことが大切であるという,奥深いなぞなぞでもある。

2.1人なのに2人,ときには3人だったり4人だったりするよ,な~んだ?


答え。
妊婦さん。

なぞなぞには,日本語のリズム感も大切です。

4.04.2008

メキシコで他にも楽しかったこと

ポンチョのうちでタキサがあった。タキサとは,私のスペイン語辞書には載っていないが,みんなでタコスの具を持ち寄って,トルティージャと呼ばれる皮につつんで食べまくる,というメキシコならではのホームパーティ,あるいはその形態を指す。

おなじみ,DJぽんちん・ぽんちす↑ (注:彼の家です)


期待の新星DJアロ。この歳にしてノリノリ。


タキサの残骸と音楽に揺れる人たち。


クラブのようなポンチョ宅でのひとときを楽しむエイコちゃんとエドゥ。

食べすぎました。

お花と笑顔

今日はいいことがあったので,帰りにいつものマーケットでガーベラの花を買った。

すると,いつも無愛想なレジのお姉ちゃんから「なんて素敵!」と言われた。

ハッピーな気持ちって伝染するものだなあ,と思った。

メキシコで楽しかったこと


アメカメカ,といううそみたいな名前の町までドライブに行ってきました。コルテスら一行がアステカ帝国の都テノティティトラン(メキシコシティ)を目指し通った山道も,今ではきれいに舗装されています。標高3500mでは,新車のジュノもだいぶバテ気味,なので一休み。その名も「コルテス峠」(Paso de Cortés) からは,メキシコ中央部を代表する二つの火山ポポカテペトゥル(発音不能)とイスタチウヮトル(もっとできない)が見渡せる。
・・・はずが,あいにくの曇り空であんまり見えませんでした。



頂上を雲に覆われたポポ(親しみを込めてメキシコ人からこう呼ばれている)。コルテス峠にて。


メキシコで育てているサボテンに花が咲きました。
1年に一回しか咲かないんだって。
でも,「これを水に溶かして与えれば年に3回咲く」というサボテン屋のおやじの話を真に受け,あやしげな蛍光ブルーの物質を買ってしまったので,こいつを与えて3回花を咲かせます!
もうニューヘイヴンです。

3.25.2008

休日を経て日常への復帰とメキシコ交通事情

聖週間の休暇を利用してメキシコに滞在中。
今回はそれほど遠出はせず,近場を町を訪れたり,友人たちに会ったりして過ごした大満足の休日。

先日買ってきたサボテンに,オレンジ色の素敵な花が咲いた。
写真を載せられればいいのだけれど,なぜかアップできないので後日。
どうやら朝開花して,午後には閉じてしまうらしいことに気づいた。
ためいきの出るような美しい花をサボテンが咲かせるのはなぜなんだろう。
砂漠に生きる数少ない昆虫にアピールして,種を運んでもらうためなのかな。
単調な色の砂漠に彩りを添える粋なはからいなのか。

最近新しい車が届いたので,メキシコシティを運転している。
メキシコには自動車学校なるものはなくって,5000円くらい払えば誰でも免許を取れる。
だから人々は,実践の中で運転を学んでいくことになる。

メキシコシティでの運転は,なかなかスリリングな経験だ。

まず,3車線なのか2車線なのか判断のつきにくい道路がいくつもある。おそらく新しい線を描いたときに前のを消し忘れたのだろう。また,一方通行の表示を信頼していては,いきなり逆行してくる車に対応できない。右折・左折や車線変更時にサインを出すドライバーは本当に私くらいだし,日本では道路を右折・左折する2,30m前には車線変更して端っこに寄るように習ったのだが,ここでは2車線向こうから平気で右折したりする(しかもサインも出さずに!)。そもそもバックランプの切れている車も驚くほど多い。ブレーキランプがつかないので,減速していてもわからない。こういう車の後ろを走るのは危険である。それから,日本では歩行者優先というのがおおよそ浸透しているが,ここでは明らかに車優先である。なぜなら車の方が強いからである。私はなるべく歩行者に道を譲るようにしているが,そうすると後ろの車から「ブーッ」(「なにやってんだあ,早く行けえ」)と鳴らされたりする。坂道では広めに車体間隔を取る必要がある。なぜならうちの車も含めて多くがマニュアル車なので,発進時に逆行してくる可能性が高いからだ。信号待ち時も油断ならない。なぜなら信号が赤に変わるやいなや,おかしの売り子や路上パフォーマンスの人が近づいてくるので,彼らを轢かないように用心しないといけない。また,ぼーっとしていると半強制的にフロントガラスを掃除する子供たちや若者が近づいてきて勝手にガラスを拭き始めるので,きちんと断らなくてはならない。

このように,メキシコシティの運転は五感(時に第六感まで)をフル活用してなんとかなる試みであるが,これでなんとかなっているのだからすごいなあと思う。
途上国の喧騒と無秩序という秩序。
私は日々マイペース運転。

2.29.2008

約1世紀を目撃した友達

昨日は私たちのパトロンであるフォックス氏の92歳の誕生日だったので,マルセラ(メキ人フェロー)とともに彼のオフィスを訪ねた。まだばりばり現役で,ニューヘイヴンを見下ろす高層ビルの10階に立派なオフィスを構えていらっしゃる。いったいどんな仕事をこなしているのかはなぞだが,他人とのミーティングなどもあるらしい。きっと楽しい話し合いなのだろう。

私たちが行くと,彼はとてもうれしそうに迎えてくれ,オフィスに飾られた写真や中国書画などについて説明してくれた。「彊無愛大」・・・意味を聞かれて(日本人は中国語が読めると思われている)適当に「愛は無敵」みたいな訳をしてしまったが,「愛に国境はない」の方が正解か?それともどちらもはずれでしょうか。

そして,いつものように彼は私たちに「ニューヘイヴンでの生活はどうですか?」と尋ね,いつものように私たちは「いろんな国の人と出会えてとても良い経験をしています。ありがとうございます」と答えます。

そしたらこの日は予想外にさらに別の質問が返ってきた。「By the way, アメリカ人の友達はできましたか?」との,突然すぎる質問。

・・・そういえば,アメリカ人の友達がいないことに気づく。マルセラも苦し紛れに「ここで普段はアメリカ以外の世界のいろんな国の人との交流の方が多いですが,あ~,もちろんアメリカ人の友達もいます(特定はせず)・・・」

幸運なことに,それ以上突っ込まれなかったのでよかった。しかし,アメリカ人の友達がいないとは!このずっと直視するのを避けてきた事実に気づき,マルセラとこのネタでその日一日中笑ってしまった。会えば「ハイ」って挨拶するくらいじゃ,友達って言わないし。友達になるには,やはり時間がかかるものだしかけるもの。アメリカ人の友達できるかな。そういえば,英語版星の王子様をまだ手に入れてなかった。

2.28.2008

ニューヨーク散歩

二月のニューヨークを歩いた。

一日目は,MoMA→チャイナタウンで小ロンポウ→ブルックリン橋→ソーホーで一息→イーストヴィレッジでメキシコ料理。

MoMAにてよく切れそうな包丁で刺される。


ブルックリン橋は二度目。ものすごく天気がよかったので,歩いている人も走っている人もたくさんいた。逆光で自由の女神はよく見えず。エンパイアステートはきれいに見えた。

イーストヴィレッジにはからずして迷い込んだところ,なんだか日本風の居酒屋がたくさんある通りに出会った。実は有名な通り(東八番通り)らしい。中をのぞくと立ち飲み・立ち食いしている若者がたくさん。メキシコ料理屋La Palapaでアラチェラ(牛ステーキ)をおなかいっぱい食べる。

二日目は,朝目覚めるとあたり一面雪景色。さっそくセントラルパークへ繰り出す。

ふかふか雪のクッションで一休み。

表面に氷の張った湖に集う鳥たちも,心なしか首をすぼめて寒さに耐えるようにしていた。
セントラルパークはほんとに大きい。雪の中を歩いていると,知らぬ間に森の奥に入り込んでいたようで,まわりにまったくビルが見えず,人影もなく,街の騒音がきこえない。一瞬ここがマンハッタンのど真ん中であることを忘れてしまう。

2.17.2008

Jesus meets Mohammad

金曜の夜,知り合いのお宅に呼ばれて,同じプログラムのフェロー総勢6人で出かけた。日本人2人,インド人2人,メキシコ人2人という内訳だ。それぞれの国の料理を持ち合って。

「ガジャーフラー,チラキレス,サケノテリヤキ…」
摩訶不思議な料理の名前が飛び交う。

呼んでくれた人はバングラディッシュ人。他にも彼女の友達2人(バングラ人)が来ていたのだけど,うち一人はモハマッドといった。イスラム教の預言者ムハンマドと同じ名前だ。一方,わがメキシコ人フェローの名前はヘスース(Jesus)。英語にするとジーザス,もちろんキリスト教の預言者の名前である。同じ食卓に二人の預言者が!とみんなでだいぶ盛り上がってしまった(私たち,弟子状態)。

英語圏の人でジーザスという名前はきいたことがないのだが,スペイン語圏でヘスースはものすごくよくある名前のひとつ。この夜ヘスースは,まわりから自分の名前を英語読みで「ジーザス!ジーザス!」と呼ばれていて,なんだかちょっと恥ずかしそうだった。いきなり神々しく見えるのはなぜ

2.07.2008

決戦は火曜日にならなかった

ここではだいたい,注目すべきものや規模の大きいものには「スーパー」をつけとけばいいと思われている。

昨日は民主党・共和党合わせて24の州で候補者指名の予備選・党員集会が行なわれた,いわゆる「スーパー・テューズデー」であった。一気に24の州なんてすごいから,である。午後7時から,オフィスのあるマクミランセンターの2階サロンで,Super Tuesday Night,すなわち大きなスクリーンで開票状況を見ながら,アメリカ政治専門の教授たちの解説を聞きつつピザを食べビールを飲む,というイベントが行なわれた。その二日前の日曜の夜に行なわれたAFL決勝戦「スーパー・ボウル」観戦イベントとの違いは,教授の話がないことくらいである。あとは,食べているものも飲んでいるものも,人々の顔ぶれもノリも一緒である。

アメリカ人の学生はそれぞれのカレッジや大学院生寮で観戦(?)するため,マクミランセンターには政治学専門を中心とする教授と多くの外国人留学生が集まった。コネチカットが出ると,観衆もおおお,と沸く。コネチカットの北部はヒラリー,南はオバマが優勢のようだったけど,結局オバマが勝ったみたい。少なくとも昨日の観衆の中では,ヒラリーよりもオバマの方が人気のようだった。私たちはそもそも仕組みがわかっていなかったのだけど,昨日なんとなくわかったことといえば,民主党と共和党で選挙の仕組み・選出の仕方が違うということ。メキシコでは,「自分は○○党員だ」と言いさえすれば誰でも候補者選挙に投票できるんですが,アメリカでは登録が必要なのかな。

とにかく,今回はこのスーパーテューズデーで勝者がまだはっきりしないという異例の事態のようです(民主党)。アメリカにいたってテレビがないと別に選挙の臨場感もないんですけど,少しは勉強してみます。

2.05.2008

ウィスキルカンを知ってますか?

メキシコに住むグリンゴ(アメリカ人)のための雑誌,Inside Mexico.
http://www.insidemex.com/downloads/the_guide/g-imx14.pdf
7ページに注目!

私はもちろん結婚式に行きますが。

2.04.2008

読書感想文と

伊坂幸太郎のゴールデンスランバーを読んだ。年明けに東京に住む友達がだるまのついた白手ぬぐいと一緒に送ってくれたものだ。はじめの50ページになんと1週間かかり,残りの200ページは一日で読まずにはいられないスピード感だった。

個人ではなく,もっと大きななにか。どこまでたどっても実体のないねっとりしたものにしか行き着かないような,すべての者がその存在を実感し,それを信じて疑わないにもかかわらず,決してたどりつくことのできない,実体というよりもむしろ流れ・運動・力学にちかいものなのかもしれない。それを政治権力と呼んでしまうのは,いささか単純すぎる気もする。それはもっと人間の深層心理に根ざした,深く暗い力だ。ユダヤ人の虐殺の原因をヒトラー個人に帰することは容易だが,そこに幹部を含む当時の人々の意識を支配したもっと大きな流れの存在を認めない限り,あのような恐るべき殺戮が行なわれえた理由は理解できないと思う。逆にいえば,実行可能性を考えることさえ馬鹿げていると思えるほどの何百万単位の虐殺が,このねっとりした力の手にかかっては実際に行われうるのである。ここには上からのインドクトリネーションにあるいは触発された,下からの現実の合理化が少なからず関係しているのではないかと思っている。そして,無意識のうちに自分もこうした合理化を行なう市民になりうるという,そんな恐ろしい事実を突きつけられたような気がした。この小説を読みながら。

なにげにけっこう大きなテーマを扱っている小説,おすすめです。あきらかにフィクションだと思う一方で,そんなフィクションまがいの歴史が繰り返されてきた事実にも新鮮に行き当たる。

ところで,この小説を読みながら,年末にメキシコで観た映画,エイリアンを思い出した。エイリアンとその敵に追われて行き場をなくした人々が,連邦政府だったか軍だったかに助けを求めるシーン。政府は,救助隊を派遣するからと,街の中央広場に住民を全員集めるように指示する。そこで一人の男が,「俺たちを助けるのに中央広場に集めるなんておかしい。敵をおびきよせて,住民ごとみんなまとめて処理する気なんじゃないか」と言う。別の女性が,「いや,でも,政府が私たちをだますわけないし,きっと助けに来てくれるはずよ」と言う。

そこで映画館中に大爆笑が起こる。
笑うところか??!

このせりふがジョークになるのは,さすがだと思った。 (国民の味方であるべき)政府が,国民を傷つけるわけがないという「ナイーヴな」考え方に,メキシコ人はユーモアを見出したらしい。
ここでは伊坂のこの小説も,あまり新しさをもって迎え入れられないかもしれない。

2.03.2008

ワシントンを作るもの

ワシントンDCを旅した。
スペイン人の歌手,アレハンドロ・サンツのライブがあったため。マルセとヘススと私の三人,ニューヨークを経由し,通称「チャイナタウンバス」に揺られ,6時間半かけて到着。

ニューヘイヴンからDCにはアムトラックが走っているのだけど,往復300ドルという法外な値段設定のため,実用性はあまりない(少なくとも学生にとっては)。その点,NY-DC間を走るバスは往復35ドルとたいへんお得だ。リンカーン的にいえば,チャイニーズが運営するチャイニーズのためのチャイナタウンバスは,その名の通りNYのチャイナタウンとDCのチャイナタウンを結ぶ。ただし,チャイニーズ以外もこの恩恵にあずかることができる。

DCの印象を表す熟語を並べると,清潔・教養・人工・記憶・政治・象徴・権力etc.という感じ。細部までコントロールされた整然さが街に行き届いており,NYのような混沌が見当たらない。人々はニューヘイヴンおよびNYより一般に親切である印象を受けた。市民みな外交官,というか,ここでは外部の者がDCを気に入ってくれているかが人々の関心にあるような気がする。NYでは絶対に得られない印象だ。

また,ここは記憶と象徴の街でもある。独立・建国にかかわった人々の肖像や,すべての戦争にまつわるモニュメントがいたるところに散在する。
"For those who served."
全体主義のトラウマの残る日本では難しい表現だ。

次の日は,ジョージタウン大学で学ぶ連ちゃんに会うことができた。無精ひげをはやした彼は,東京にいたころよりも少したくましくなった感じ。日本食やでお弁当を食べた後,ナショナルギャラリーオブアーツとNASA博物館めぐりに付き合ってくれた。NGoAは平日のためかがらがらにすいていた。とりあえず巨匠の絵が無造作にぽんぽん置かれていて,近づいてもぴーとかならないし,非常に気に入った。しかもこれが入場料タダだというから驚きだ。ゴッホの青をあんな間近でみたのは初めてだったけど,こんなの部屋にあったら気が狂うんじゃないだろうかと思う。

真夜中1時過ぎにニューヘイヴンに着き,うちに帰ってきたという感覚を覚える。ほかの街に行くことで,それまでよそよそしかったこの街がもっと身近に感じられるから不思議だ。メキシコシティにはじめて住んだときも,ケレタロの帰りに同じ感覚を経験したことを思い出す。人間はやはり,便宜的にもどこか「帰る場所」を定義せずにはいられない存在なのだろうと思う。

1.30.2008

森をゆくとお菓子の家と言葉があった

学部生向け日本語クラスの小テスト採点を手伝ったところ,こんな問題があった。
「下の8コマの絵を見て物語を想像し,日本語で書きなさい」

描かれている物語は,かの有名なヘンゼルとグレーテル。
先生も,これならみんな知ってるだろうと思って出したらしいのだが,特に教室の約4分の1を占める中国人学生にはなじみのない話だったようで,みんなほんとに好き勝手に書いている。中には「おまえ,ねらっただろ」っていうのもいくつかあったのだけど(例えば,お菓子の家に住んでいたのは魔女ではなく山田さんだった,とか),うんと考えた結果こんな話になりました,という傑作も多く,なかなか楽しい採点であった。個人的に面白かったもので例えば,「お父さんとお母さんは最近別荘であるお菓子の家から変なにおいがするので,子供たち(ヘンゼルとグレーテル)に頼んで見に行ってもらった」とか,「魔女は子供たちを助けようとしただけなのに,疑い深くあくどい子供たちの手にかかり焼け死んでしまった」とか,「実は両親と魔女がグルで,子供たちを煮込んだスープを作ってもらおうと魔女に頼んだ」とか。

ところでオリジナルの話について思い出せないのは,そもそも二人はなぜ森に行ったのか,ということ。①食べ物を探しに行ったのか,②両親が連れて行って意図的に置いて帰ったのか(捨て子),③捨てられる可能性に気づいて自発的に森に逃げたのか,答案にはいずれも見られたのだけど,どうしても思い出せずにいる。たしか①だった気がするのだけど,捨て子説の怖い話だったような気もしないでもない。

ところで今日,言語学の学者が,英語には6万語の語彙があるが,一般的アメリカ人はそのうち約5000語で日々の生活を送っている,実際には1500語あれば,すべての意思を伝えることができる,という話をしていた。日本語も同じくらいなのだろうか。実際自分はどれくらいの語彙を用いて生活しているのだろう。おそらく,聞いたり読んだりしてわかる言葉の半分も使っていない気がする。それはとてももったいないことで,たとえ1500で事足りるにしても,本当の言葉との付き合いはそこから始まるような気がするのだった。日本語を習う諸君もがんばってもらいたいものだ。英語と西語を学ぶ私も。

1.26.2008

生活における繰り返しの意味

ここではほんとうに静かに,しかし律儀に毎日が過ぎていく。なるべく物音をたてないようにと思案して吹く冬風のように。


12月に弟がメキシコに来たときに,ある小説の文庫版を置いていった。5年ほど前にハードカバーが出たとき,買って読んだ小説だ。昔は,一度読んだ本をもう一度読むという習慣をあまりもっていなかった。一度観た映画をまた観るということも。でも最近,前に読んだ本や観た映画をよく読み返したり観直したりする。ひとつには,もの覚えが悪くなって話をよく忘れるから,ということがある。


友人であるカルラのお母さんは,観た映画を片っ端から忘れてしまうので,同じ映画を観てもある程度まで気づかないそうだ。逆にエドゥアルドは,映画に関しては記憶力がよく,あらすじはもちろん,一度観ただけでせりふまで覚えてしまうらしい。私はどちらの方向にもそう極端ではないけれど,特に結末をよく忘れる。

それから,もうひとつの理由として,話のすじよりも物語の描写の細部をたどること,ときにそれをゆっくり繰り返すことが,ここでの生活にとても合っているような気がしている,ということがある。それは,ここでの生活の中で毎日繰り返し行なう,しるしのような所作に,魔法のような意味合いをもたせる作業である。そして,記憶を旅する作業でもある。

1.24.2008

ビートと呼ばれる野菜


そして再び鳥たちの水浴び場は凍った。

今日はビートと呼ばれる赤カブと豚肉の煮物を作った。あまり食べなれない野菜なのだが,ニュージーランド出身のクレアによると,ものすごく栄養価が高いらしい。
"It's ridiculously healthy."

皮をむいただけで,手のひらに赤い色素がべっとりついた。茎の部分までほのかに赤い。あまり皮をむきすぎないように,慎重に,薄く包丁を入れる。

少しほくほくしたカブという感じで,しょうゆとみりんで煮たら,きちんと和食になった。
茎と葉にもたくさん栄養がありそうだったので,さっといためてゴマをまぶしきんぴらにする。

アメリカに住み始めてから,毎日料理をするようになった。東京では冷蔵庫の野菜を腐らせるのが得意だったのに,ここではなるべく丸ごときれいに使ってしまおうと毎日アイデアをめぐらせている。
明日はなにを食べようかな。

1.20.2008

氷点下におけるカラスに似た鳥の行水

相変わらず人を内に向かわせるような曇り空が続いている。

12月以来,窓のあたりからぴーぴーと動物の鳴き声の聞こえることがよくあって,はじめ壁の間をつたうねずみの声ではないかとびびっていたのだけど(「未亡人の一年」にそういうくだりがあった),正体はカラスとツバメの中間くらいの鳥の群れだった。
雪の解けた軒上で元気に水浴びをしている。
しばらくするとみんないっせいに飛び立っていなくなってしまう。
ものすごく冷たい水のはずなのに,なんだかみんなくつろいでるようにしかみえないから,ほんとは温泉のように温かいのかもしれない!

ところで月曜日はキング牧師の日の休日なのだが,ある市民個人を記念する日が国をあげての休日というのはなにか新鮮に感じた。日本には天皇誕生日があるけど,一応立憲君主国の建前上まあわかる気がする。でも,アメリカの場合,もしかしたら「ジョン・レノンの日」だってありえる。一市民が国家の英雄になることの垣根が日本におけるよりもずっと低いような気がするのだ。「国民」を作るシンボルという意味ではキング牧師の日も天皇誕生日も変わらないのかもしれないが,アメリカのような比較的新しい国において,どのようなシンボルが意図的・無意識に用いられてきたのかは興味深い。そのようなことを考えていると,昨日送られてきた『キング牧師の偉業をたたえてのカレッジ・パーティご案内』の賛辞に満ちた文面についても,素直に受け取ることができないでいるのだった。

引越し

技術的問題のため,ほかのブログから引っ越してきました。
まだニューヘイヴンにいます。

1.19.2008

日々考えていることとか  December 03 [Mon], 2007, 11:55

私たちフェローには「オフィス」と呼ばれる小さな共有スペースがある。ルスホールという建物の3階に位置する,プログラム・コーディネーターの部屋と隣り合った空間で,日本語の書けないコンピューターが数台とメイルボックス,その上にフェローの出身国の旗11種類が並べてあり,それから5都市の時間を刻む5台の時計が,それぞれ勝手に時間を刻んでいる(パリの時間しか合っていない)。

3階に上がる階段は対面がすべてガラス張りになっていて,外の風景が見渡せるが,ルスホールの隣の敷地はあいにく工事中だ。新しい建物を建設中のようだが,まだ赤土を掘り起こしては別の場所に運ぶといった作業段階のようである。ここの3階は,2階が天井の高い一部吹き抜けの構造になっているため,実質4階くらいの高さにある。そのため,階段を上りきるのには多少時間がかかるし,「階段を上っているなあ」ということ以外のことを考える時間も少しある。 日々工事現場を目にしながら,そういえばこのような建設作業を上から眺めることなんて,今までになかった経験であることに気づく。そして,この観察がなかなか面白い。

大きなシャベルカーというのだろうか,もくもくと土をすくってはシャベルを180度回転させて,ちょうどぴったりのところに駐めてあるトラックの荷台に土を落とす。背中の土がいっぱいになると,トラックは所定の場所までその土を運んで荷台を約70度まで傾け土を落とし,またシャベルカーとの共同作業に戻る。これを,それこそ永遠に,続けるのである。

この永遠の作業と,すでにある例えばルスホールなどの完成した建物との間には,まったくつながりを想像することができないけれど,少し論文を書くことに似ているかも,なんて風にも思えている。永遠と思える地味な作業を続けるにあたっては,勇気を与えてくれるメタファーなのだ。

それにしても,何種類もの大型トラックにはそれぞれ名称があるだろうに,クレーン車くらいしか知らない自分の無知に気がつく。自分の生活している領域や日常的に使用するボキャブラリーが非常に限られたものであることに今更驚いたりしながら,毎日階段を上っている。

京都へ  July 03 [Tue], 2007, 23:23

京都の旅の記憶を断片的に。

6月23日から1泊で京都に行った。御所の向かいにある同志社大学で,比較政治学会が開催されたからだ。京都は2005年9月の旅行以来だった。今出川通のそば屋のテレビでお昼に吉本新喜劇をやってたのが妙に新鮮だった。ここは関西,別の文化圏なのだ。

尼さんがケーキ屋に入っていく。なんかへん。でも,尼さんだってケーキは食べる。長崎でシスターが原付に乗っているのを見かけるようなものだろう。

学会は同志社大の今出川別館であった。よその大学はなぜこうも綺麗なのか。ためいき。学会は刺激的であったという意味で非常におもしろかった。問いに対して真摯に向き合い,真面目に取り組んでいる研究,あるいはそれらに関する討論が,もっとも心に足跡を残した。存在感のある言葉,心に落ちてふわっと広がるような。なにか伝えたいことをもっている研究は強い。

懇親会にはなんのコミットメントもないのをいいことに行かない。行ったら行ったで楽しかっただろうけど,一人とことこ川辺まで歩くことを選ぶ。選ぶことだ。そして楽しむこと。下鴨神社は案の定もう閉まっていた。まだ空は明るいのに,遊歩道に入ると不思議とあたりが暗くなる。うっそうと茂る林の奥が,白く霞んで見えた。今出川通まで戻ると,もう夜の帳は降りていた。地下鉄に乗り込むが,なかなか発車しない。15分たって,ようやく発車した。
四条で降りて,祇園を歩く。定食屋だか小料亭だかわからないような店に入ったら,なんと他に誰も客がいなかった。ご主人と,その奥さんだろうか。まだ二人とも若い。食べながら,「ご旅行ですか?」と尋ねられる。「いいえ,学会なんです。でも,今の時間は旅をしてます」なにを食べたかはよく覚えていない。ごはんはおかわりをした。帰りは二人,店の外まで見送ってくれた。
「町屋」に泊まった。ジャパニーズ・ユース・ホステルである。同室に居合わせた彼女には,結局名前もききそびれた。陶器を焼きに,埼玉から京都に来ているという。私が比較政治学の学会だというと,「そんな学会が存在するの?」と驚かれてしまった。比較政治学会なんて,普通にありそうな学会だと思うのだけど,べつにそんなのに縁なく暮らしている人にとっては「UFO学会」なんかと同じくらいレアな学会に聞こえるのだろう。自分が世界だと思っているものは,実はものすごく狭かったりする。
夜は,明け方まで騒いでいたアメリカ人の若者男女3人のせいで眠れず。翌日宿の人が呆れて言った。
「アメリカ人ってことよりも,19歳っていうことが問題なのよ。」
すごく正しいと思った。アメリカ人という集団よりも,19歳という集団の方が,集団構成者の共通点をたくさん見いだせるのではないだろうか。2日目はどしゃぶり。気持ちいいくらいに降っている。

帰りの新幹線は私の先生と帰った。私の先生は大文字ではじまる。先生と学生というのは,お互いにその人間の偏った役割の中で成立するかなり興味深い人間関係なのではないかと思う。友達同士より偏っている。家族より偏っている。しかしそれは,ときに心地よいものだ。そんなことを考えながらおしゃべりに興じていたら新横浜に着いて,そこから東京駅までは旅の整理をつける間もないほどあっというまだった。

結婚しました  May 30 [Wed], 2007, 0:45

昨日,正確にはおととい,結婚しました
いわゆる結婚の手続き(二人で市役所に行ってサインする)というのとだいぶ違う手続きを経た上,最終的に提出したのが母であって私も彼もどちらも出頭していないというわけで,ふ~ん結婚したか,そうかそうか となんだかひとごとみたいにも思える。
家族というのがいかに「想像の共同体」であるか,家族であることを繰り返し確認していくことによって共同体をまさに想像し,作っていく作業なのか,そんな事実に新鮮な驚きを感じたりする。つまり,父と母もまったくの他人どうしだったのだ。家族が社会の最少単位であり,それが愛と信頼でつながった想像の産物であるとすれば,私はこの制度をこれからもっと好きになるだろう。

届けが受理されたとの連絡を受けたときスカイプでメキシコと東京をつなぎ,パインジュースと牛乳で乾杯した。こんな結婚もありかもしれない。

桃色の亀に思う May 20 [Sun], 2007, 21:44

最近昔より涙もろくなったと感じる。世界うるるんを見て泣くのは前からだけど,例えばこれから自分が築いていく家庭の図を妄想して泣いたりしている。今日観た映画「ホリディ」でもやっぱり泣いた。こどもたちのテントに横になって,ジュード・ロウとキャメロンが手をつなぐシーン。大勢の観客にアーサーが迎えられるシーン。人間同士のつながりのようなものにとても弱い。

生活環境が目まぐるしく変わっていくこの時期だからこそ,考えて言葉にする場所を確保しておきたかった。

viaje de una tortuga rosa とは,「ある桃色の亀の旅」という意味。人生は実験旅行だと言ったのはペソアだった。この言葉がしっくりときていた大学3年生のころ。なにも失うものはないと思っていた。あれから時が流れ,私には,失うことが怖いものがたくさんある。たくさんできたのではなく,それに気づいてしまった。実験旅行だなんて思えるか,とそんな風に思いながらもう一度この言葉に出逢ったとき,限りある生の中で,選び受け入れつつ,たくましく生きる姿が見えたのだった。今のこの解釈の方が,大学生の自分のものよりも気に入っている。

世界に一匹の桃色の亀。歩みは遅かれど,きょろきょろと楽しいことを探して,今日も一歩。