学部生向け日本語クラスの小テスト採点を手伝ったところ,こんな問題があった。
「下の8コマの絵を見て物語を想像し,日本語で書きなさい」
描かれている物語は,かの有名なヘンゼルとグレーテル。
先生も,これならみんな知ってるだろうと思って出したらしいのだが,特に教室の約4分の1を占める中国人学生にはなじみのない話だったようで,みんなほんとに好き勝手に書いている。中には「おまえ,ねらっただろ」っていうのもいくつかあったのだけど(例えば,お菓子の家に住んでいたのは魔女ではなく山田さんだった,とか),うんと考えた結果こんな話になりました,という傑作も多く,なかなか楽しい採点であった。個人的に面白かったもので例えば,「お父さんとお母さんは最近別荘であるお菓子の家から変なにおいがするので,子供たち(ヘンゼルとグレーテル)に頼んで見に行ってもらった」とか,「魔女は子供たちを助けようとしただけなのに,疑い深くあくどい子供たちの手にかかり焼け死んでしまった」とか,「実は両親と魔女がグルで,子供たちを煮込んだスープを作ってもらおうと魔女に頼んだ」とか。
ところでオリジナルの話について思い出せないのは,そもそも二人はなぜ森に行ったのか,ということ。①食べ物を探しに行ったのか,②両親が連れて行って意図的に置いて帰ったのか(捨て子),③捨てられる可能性に気づいて自発的に森に逃げたのか,答案にはいずれも見られたのだけど,どうしても思い出せずにいる。たしか①だった気がするのだけど,捨て子説の怖い話だったような気もしないでもない。
ところで今日,言語学の学者が,英語には6万語の語彙があるが,一般的アメリカ人はそのうち約5000語で日々の生活を送っている,実際には1500語あれば,すべての意思を伝えることができる,という話をしていた。日本語も同じくらいなのだろうか。実際自分はどれくらいの語彙を用いて生活しているのだろう。おそらく,聞いたり読んだりしてわかる言葉の半分も使っていない気がする。それはとてももったいないことで,たとえ1500で事足りるにしても,本当の言葉との付き合いはそこから始まるような気がするのだった。日本語を習う諸君もがんばってもらいたいものだ。英語と西語を学ぶ私も。
1.30.2008
1.26.2008
生活における繰り返しの意味
ここではほんとうに静かに,しかし律儀に毎日が過ぎていく。なるべく物音をたてないようにと思案して吹く冬風のように。
12月に弟がメキシコに来たときに,ある小説の文庫版を置いていった。5年ほど前にハードカバーが出たとき,買って読んだ小説だ。昔は,一度読んだ本をもう一度読むという習慣をあまりもっていなかった。一度観た映画をまた観るということも。でも最近,前に読んだ本や観た映画をよく読み返したり観直したりする。ひとつには,もの覚えが悪くなって話をよく忘れるから,ということがある。
友人であるカルラのお母さんは,観た映画を片っ端から忘れてしまうので,同じ映画を観てもある程度まで気づかないそうだ。逆にエドゥアルドは,映画に関しては記憶力がよく,あらすじはもちろん,一度観ただけでせりふまで覚えてしまうらしい。私はどちらの方向にもそう極端ではないけれど,特に結末をよく忘れる。
それから,もうひとつの理由として,話のすじよりも物語の描写の細部をたどること,ときにそれをゆっくり繰り返すことが,ここでの生活にとても合っているような気がしている,ということがある。それは,ここでの生活の中で毎日繰り返し行なう,しるしのような所作に,魔法のような意味合いをもたせる作業である。そして,記憶を旅する作業でもある。
12月に弟がメキシコに来たときに,ある小説の文庫版を置いていった。5年ほど前にハードカバーが出たとき,買って読んだ小説だ。昔は,一度読んだ本をもう一度読むという習慣をあまりもっていなかった。一度観た映画をまた観るということも。でも最近,前に読んだ本や観た映画をよく読み返したり観直したりする。ひとつには,もの覚えが悪くなって話をよく忘れるから,ということがある。
友人であるカルラのお母さんは,観た映画を片っ端から忘れてしまうので,同じ映画を観てもある程度まで気づかないそうだ。逆にエドゥアルドは,映画に関しては記憶力がよく,あらすじはもちろん,一度観ただけでせりふまで覚えてしまうらしい。私はどちらの方向にもそう極端ではないけれど,特に結末をよく忘れる。
それから,もうひとつの理由として,話のすじよりも物語の描写の細部をたどること,ときにそれをゆっくり繰り返すことが,ここでの生活にとても合っているような気がしている,ということがある。それは,ここでの生活の中で毎日繰り返し行なう,しるしのような所作に,魔法のような意味合いをもたせる作業である。そして,記憶を旅する作業でもある。
1.24.2008
ビートと呼ばれる野菜
そして再び鳥たちの水浴び場は凍った。
今日はビートと呼ばれる赤カブと豚肉の煮物を作った。あまり食べなれない野菜なのだが,ニュージーランド出身のクレアによると,ものすごく栄養価が高いらしい。
"It's ridiculously healthy."
皮をむいただけで,手のひらに赤い色素がべっとりついた。茎の部分までほのかに赤い。あまり皮をむきすぎないように,慎重に,薄く包丁を入れる。
少しほくほくしたカブという感じで,しょうゆとみりんで煮たら,きちんと和食になった。
茎と葉にもたくさん栄養がありそうだったので,さっといためてゴマをまぶしきんぴらにする。
アメリカに住み始めてから,毎日料理をするようになった。東京では冷蔵庫の野菜を腐らせるのが得意だったのに,ここではなるべく丸ごときれいに使ってしまおうと毎日アイデアをめぐらせている。
明日はなにを食べようかな。
1.20.2008
氷点下におけるカラスに似た鳥の行水
12月以来,窓のあたりからぴーぴーと動物の鳴き声の聞こえることがよくあって,はじめ壁の間をつたうねずみの声ではないかとびびっていたのだけど(「未亡人の一年」にそういうくだりがあった),正体はカラスとツバメの中間くらいの鳥の群れだった。
雪の解けた軒上で元気に水浴びをしている。
しばらくするとみんないっせいに飛び立っていなくなってしまう。
ものすごく冷たい水のはずなのに,なんだかみんなくつろいでるようにしかみえないから,ほんとは温泉のように温かいのかもしれない!
ところで月曜日はキング牧師の日の休日なのだが,ある市民個人を記念する日が国をあげての休日というのはなにか新鮮に感じた。日本には天皇誕生日があるけど,一応立憲君主国の建前上まあわかる気がする。でも,アメリカの場合,もしかしたら「ジョン・レノンの日」だってありえる。一市民が国家の英雄になることの垣根が日本におけるよりもずっと低いような気がするのだ。「国民」を作るシンボルという意味ではキング牧師の日も天皇誕生日も変わらないのかもしれないが,アメリカのような比較的新しい国において,どのようなシンボルが意図的・無意識に用いられてきたのかは興味深い。そのようなことを考えていると,昨日送られてきた『キング牧師の偉業をたたえてのカレッジ・パーティご案内』の賛辞に満ちた文面についても,素直に受け取ることができないでいるのだった。
1.19.2008
日々考えていることとか December 03 [Mon], 2007, 11:55
私たちフェローには「オフィス」と呼ばれる小さな共有スペースがある。ルスホールという建物の3階に位置する,プログラム・コーディネーターの部屋と隣り合った空間で,日本語の書けないコンピューターが数台とメイルボックス,その上にフェローの出身国の旗11種類が並べてあり,それから5都市の時間を刻む5台の時計が,それぞれ勝手に時間を刻んでいる(パリの時間しか合っていない)。
3階に上がる階段は対面がすべてガラス張りになっていて,外の風景が見渡せるが,ルスホールの隣の敷地はあいにく工事中だ。新しい建物を建設中のようだが,まだ赤土を掘り起こしては別の場所に運ぶといった作業段階のようである。ここの3階は,2階が天井の高い一部吹き抜けの構造になっているため,実質4階くらいの高さにある。そのため,階段を上りきるのには多少時間がかかるし,「階段を上っているなあ」ということ以外のことを考える時間も少しある。 日々工事現場を目にしながら,そういえばこのような建設作業を上から眺めることなんて,今までになかった経験であることに気づく。そして,この観察がなかなか面白い。
大きなシャベルカーというのだろうか,もくもくと土をすくってはシャベルを180度回転させて,ちょうどぴったりのところに駐めてあるトラックの荷台に土を落とす。背中の土がいっぱいになると,トラックは所定の場所までその土を運んで荷台を約70度まで傾け土を落とし,またシャベルカーとの共同作業に戻る。これを,それこそ永遠に,続けるのである。
この永遠の作業と,すでにある例えばルスホールなどの完成した建物との間には,まったくつながりを想像することができないけれど,少し論文を書くことに似ているかも,なんて風にも思えている。永遠と思える地味な作業を続けるにあたっては,勇気を与えてくれるメタファーなのだ。
それにしても,何種類もの大型トラックにはそれぞれ名称があるだろうに,クレーン車くらいしか知らない自分の無知に気がつく。自分の生活している領域や日常的に使用するボキャブラリーが非常に限られたものであることに今更驚いたりしながら,毎日階段を上っている。
3階に上がる階段は対面がすべてガラス張りになっていて,外の風景が見渡せるが,ルスホールの隣の敷地はあいにく工事中だ。新しい建物を建設中のようだが,まだ赤土を掘り起こしては別の場所に運ぶといった作業段階のようである。ここの3階は,2階が天井の高い一部吹き抜けの構造になっているため,実質4階くらいの高さにある。そのため,階段を上りきるのには多少時間がかかるし,「階段を上っているなあ」ということ以外のことを考える時間も少しある。 日々工事現場を目にしながら,そういえばこのような建設作業を上から眺めることなんて,今までになかった経験であることに気づく。そして,この観察がなかなか面白い。
大きなシャベルカーというのだろうか,もくもくと土をすくってはシャベルを180度回転させて,ちょうどぴったりのところに駐めてあるトラックの荷台に土を落とす。背中の土がいっぱいになると,トラックは所定の場所までその土を運んで荷台を約70度まで傾け土を落とし,またシャベルカーとの共同作業に戻る。これを,それこそ永遠に,続けるのである。
この永遠の作業と,すでにある例えばルスホールなどの完成した建物との間には,まったくつながりを想像することができないけれど,少し論文を書くことに似ているかも,なんて風にも思えている。永遠と思える地味な作業を続けるにあたっては,勇気を与えてくれるメタファーなのだ。
それにしても,何種類もの大型トラックにはそれぞれ名称があるだろうに,クレーン車くらいしか知らない自分の無知に気がつく。自分の生活している領域や日常的に使用するボキャブラリーが非常に限られたものであることに今更驚いたりしながら,毎日階段を上っている。
京都へ July 03 [Tue], 2007, 23:23
京都の旅の記憶を断片的に。
6月23日から1泊で京都に行った。御所の向かいにある同志社大学で,比較政治学会が開催されたからだ。京都は2005年9月の旅行以来だった。今出川通のそば屋のテレビでお昼に吉本新喜劇をやってたのが妙に新鮮だった。ここは関西,別の文化圏なのだ。
尼さんがケーキ屋に入っていく。なんかへん。でも,尼さんだってケーキは食べる。長崎でシスターが原付に乗っているのを見かけるようなものだろう。
学会は同志社大の今出川別館であった。よその大学はなぜこうも綺麗なのか。ためいき。学会は刺激的であったという意味で非常におもしろかった。問いに対して真摯に向き合い,真面目に取り組んでいる研究,あるいはそれらに関する討論が,もっとも心に足跡を残した。存在感のある言葉,心に落ちてふわっと広がるような。なにか伝えたいことをもっている研究は強い。
懇親会にはなんのコミットメントもないのをいいことに行かない。行ったら行ったで楽しかっただろうけど,一人とことこ川辺まで歩くことを選ぶ。選ぶことだ。そして楽しむこと。下鴨神社は案の定もう閉まっていた。まだ空は明るいのに,遊歩道に入ると不思議とあたりが暗くなる。うっそうと茂る林の奥が,白く霞んで見えた。今出川通まで戻ると,もう夜の帳は降りていた。地下鉄に乗り込むが,なかなか発車しない。15分たって,ようやく発車した。
四条で降りて,祇園を歩く。定食屋だか小料亭だかわからないような店に入ったら,なんと他に誰も客がいなかった。ご主人と,その奥さんだろうか。まだ二人とも若い。食べながら,「ご旅行ですか?」と尋ねられる。「いいえ,学会なんです。でも,今の時間は旅をしてます」なにを食べたかはよく覚えていない。ごはんはおかわりをした。帰りは二人,店の外まで見送ってくれた。
「町屋」に泊まった。ジャパニーズ・ユース・ホステルである。同室に居合わせた彼女には,結局名前もききそびれた。陶器を焼きに,埼玉から京都に来ているという。私が比較政治学の学会だというと,「そんな学会が存在するの?」と驚かれてしまった。比較政治学会なんて,普通にありそうな学会だと思うのだけど,べつにそんなのに縁なく暮らしている人にとっては「UFO学会」なんかと同じくらいレアな学会に聞こえるのだろう。自分が世界だと思っているものは,実はものすごく狭かったりする。
夜は,明け方まで騒いでいたアメリカ人の若者男女3人のせいで眠れず。翌日宿の人が呆れて言った。
「アメリカ人ってことよりも,19歳っていうことが問題なのよ。」
すごく正しいと思った。アメリカ人という集団よりも,19歳という集団の方が,集団構成者の共通点をたくさん見いだせるのではないだろうか。2日目はどしゃぶり。気持ちいいくらいに降っている。
帰りの新幹線は私の先生と帰った。私の先生は大文字ではじまる。先生と学生というのは,お互いにその人間の偏った役割の中で成立するかなり興味深い人間関係なのではないかと思う。友達同士より偏っている。家族より偏っている。しかしそれは,ときに心地よいものだ。そんなことを考えながらおしゃべりに興じていたら新横浜に着いて,そこから東京駅までは旅の整理をつける間もないほどあっというまだった。
6月23日から1泊で京都に行った。御所の向かいにある同志社大学で,比較政治学会が開催されたからだ。京都は2005年9月の旅行以来だった。今出川通のそば屋のテレビでお昼に吉本新喜劇をやってたのが妙に新鮮だった。ここは関西,別の文化圏なのだ。
尼さんがケーキ屋に入っていく。なんかへん。でも,尼さんだってケーキは食べる。長崎でシスターが原付に乗っているのを見かけるようなものだろう。
学会は同志社大の今出川別館であった。よその大学はなぜこうも綺麗なのか。ためいき。学会は刺激的であったという意味で非常におもしろかった。問いに対して真摯に向き合い,真面目に取り組んでいる研究,あるいはそれらに関する討論が,もっとも心に足跡を残した。存在感のある言葉,心に落ちてふわっと広がるような。なにか伝えたいことをもっている研究は強い。
懇親会にはなんのコミットメントもないのをいいことに行かない。行ったら行ったで楽しかっただろうけど,一人とことこ川辺まで歩くことを選ぶ。選ぶことだ。そして楽しむこと。下鴨神社は案の定もう閉まっていた。まだ空は明るいのに,遊歩道に入ると不思議とあたりが暗くなる。うっそうと茂る林の奥が,白く霞んで見えた。今出川通まで戻ると,もう夜の帳は降りていた。地下鉄に乗り込むが,なかなか発車しない。15分たって,ようやく発車した。
四条で降りて,祇園を歩く。定食屋だか小料亭だかわからないような店に入ったら,なんと他に誰も客がいなかった。ご主人と,その奥さんだろうか。まだ二人とも若い。食べながら,「ご旅行ですか?」と尋ねられる。「いいえ,学会なんです。でも,今の時間は旅をしてます」なにを食べたかはよく覚えていない。ごはんはおかわりをした。帰りは二人,店の外まで見送ってくれた。
「町屋」に泊まった。ジャパニーズ・ユース・ホステルである。同室に居合わせた彼女には,結局名前もききそびれた。陶器を焼きに,埼玉から京都に来ているという。私が比較政治学の学会だというと,「そんな学会が存在するの?」と驚かれてしまった。比較政治学会なんて,普通にありそうな学会だと思うのだけど,べつにそんなのに縁なく暮らしている人にとっては「UFO学会」なんかと同じくらいレアな学会に聞こえるのだろう。自分が世界だと思っているものは,実はものすごく狭かったりする。
夜は,明け方まで騒いでいたアメリカ人の若者男女3人のせいで眠れず。翌日宿の人が呆れて言った。
「アメリカ人ってことよりも,19歳っていうことが問題なのよ。」
すごく正しいと思った。アメリカ人という集団よりも,19歳という集団の方が,集団構成者の共通点をたくさん見いだせるのではないだろうか。2日目はどしゃぶり。気持ちいいくらいに降っている。
帰りの新幹線は私の先生と帰った。私の先生は大文字ではじまる。先生と学生というのは,お互いにその人間の偏った役割の中で成立するかなり興味深い人間関係なのではないかと思う。友達同士より偏っている。家族より偏っている。しかしそれは,ときに心地よいものだ。そんなことを考えながらおしゃべりに興じていたら新横浜に着いて,そこから東京駅までは旅の整理をつける間もないほどあっというまだった。
結婚しました May 30 [Wed], 2007, 0:45
昨日,正確にはおととい,結婚しました
いわゆる結婚の手続き(二人で市役所に行ってサインする)というのとだいぶ違う手続きを経た上,最終的に提出したのが母であって私も彼もどちらも出頭していないというわけで,ふ~ん結婚したか,そうかそうか となんだかひとごとみたいにも思える。
家族というのがいかに「想像の共同体」であるか,家族であることを繰り返し確認していくことによって共同体をまさに想像し,作っていく作業なのか,そんな事実に新鮮な驚きを感じたりする。つまり,父と母もまったくの他人どうしだったのだ。家族が社会の最少単位であり,それが愛と信頼でつながった想像の産物であるとすれば,私はこの制度をこれからもっと好きになるだろう。
届けが受理されたとの連絡を受けたときスカイプでメキシコと東京をつなぎ,パインジュースと牛乳で乾杯した。こんな結婚もありかもしれない。
いわゆる結婚の手続き(二人で市役所に行ってサインする)というのとだいぶ違う手続きを経た上,最終的に提出したのが母であって私も彼もどちらも出頭していないというわけで,ふ~ん結婚したか,そうかそうか となんだかひとごとみたいにも思える。
家族というのがいかに「想像の共同体」であるか,家族であることを繰り返し確認していくことによって共同体をまさに想像し,作っていく作業なのか,そんな事実に新鮮な驚きを感じたりする。つまり,父と母もまったくの他人どうしだったのだ。家族が社会の最少単位であり,それが愛と信頼でつながった想像の産物であるとすれば,私はこの制度をこれからもっと好きになるだろう。
届けが受理されたとの連絡を受けたときスカイプでメキシコと東京をつなぎ,パインジュースと牛乳で乾杯した。こんな結婚もありかもしれない。
桃色の亀に思う May 20 [Sun], 2007, 21:44
最近昔より涙もろくなったと感じる。世界うるるんを見て泣くのは前からだけど,例えばこれから自分が築いていく家庭の図を妄想して泣いたりしている。今日観た映画「ホリディ」でもやっぱり泣いた。こどもたちのテントに横になって,ジュード・ロウとキャメロンが手をつなぐシーン。大勢の観客にアーサーが迎えられるシーン。人間同士のつながりのようなものにとても弱い。
生活環境が目まぐるしく変わっていくこの時期だからこそ,考えて言葉にする場所を確保しておきたかった。
viaje de una tortuga rosa とは,「ある桃色の亀の旅」という意味。人生は実験旅行だと言ったのはペソアだった。この言葉がしっくりときていた大学3年生のころ。なにも失うものはないと思っていた。あれから時が流れ,私には,失うことが怖いものがたくさんある。たくさんできたのではなく,それに気づいてしまった。実験旅行だなんて思えるか,とそんな風に思いながらもう一度この言葉に出逢ったとき,限りある生の中で,選び受け入れつつ,たくましく生きる姿が見えたのだった。今のこの解釈の方が,大学生の自分のものよりも気に入っている。
世界に一匹の桃色の亀。歩みは遅かれど,きょろきょろと楽しいことを探して,今日も一歩。
生活環境が目まぐるしく変わっていくこの時期だからこそ,考えて言葉にする場所を確保しておきたかった。
viaje de una tortuga rosa とは,「ある桃色の亀の旅」という意味。人生は実験旅行だと言ったのはペソアだった。この言葉がしっくりときていた大学3年生のころ。なにも失うものはないと思っていた。あれから時が流れ,私には,失うことが怖いものがたくさんある。たくさんできたのではなく,それに気づいてしまった。実験旅行だなんて思えるか,とそんな風に思いながらもう一度この言葉に出逢ったとき,限りある生の中で,選び受け入れつつ,たくましく生きる姿が見えたのだった。今のこの解釈の方が,大学生の自分のものよりも気に入っている。
世界に一匹の桃色の亀。歩みは遅かれど,きょろきょろと楽しいことを探して,今日も一歩。
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