6.28.2008

国民の誇り

写真は現在ヴェトナム・ホーチミンで行なわれているミス・ユニバース大会、「国民的衣装部門」で10位内に残った、メキシコ代表エリサ・ナハラ。

もちろん、彼女がとってもかわいいことにも目がいくのだけど、それより注目してしまうのがこの衣装!!
なんか、ピラミッド着てます・・・!!

全身が写っていないため、下の写真ではこの面白さの半分も伝えきれないことが残念なのだが、彼女の着ている衣装は、世界遺産であるチェチェンイッツァ遺跡をモチーフにしたもの(ユカタン半島にある有名なマヤ文明の遺跡です)。ドレスの広がっている部分がそのままピラミッドになっていて、階段はもちろん下の方についている蛇の頭まで巧妙に表現されています。ウエストの部分には、ピラミッドの頂上にある祭壇が見えます。彼女の頭に乗っているのはナニ文明かわかりませんが、きっと「雰囲気」なのでしょう。

ピラミッドをまとってこの笑顔の彼女に、ミス・ユニバースになるのも大変だなあと感心。

写真奥の方に写っている派手な民族衣装を着たマレーシア代表が、とても地味に見えます。

さすがにまわりはみんな民族衣装の中、この発想はすごい。ぜひ優勝してもらいたいなあ。


6.26.2008

コミーダ・コリーダを食べに

メキシコ版お昼の定食を「コミーダ・コリーダ(comida corrida)」という。

はじめにスープ、次にメキシコ風ご飯(ピラフみたいなもの)かパスタが出て、肉や魚などのメイン、最後にゼリーやプリンといった簡単なデザートがつく。メロンやタマリンド、スイカ、レモンなどを搾ったフレッシュ・フルーツのジュースも料金に含まれていることが多い。値段には幅があるが、だいたい400円から500円程度。街にはいくつもこのコミーダ・コリーダを出す定食屋さんがあって、お昼時には近くで働くサラリーマンやOL、学生たちでいっぱいになる。屋台と並び、まさにメキシコの母の味。

だいたい昼食は家で済ませる私だが、最近は気分転換と野菜を食べることを目的に、近くのコミーダ・コリーダ屋さんに出かけることが多い。うちの近くの定食屋さん、よく考えたら名前も知らないのだが、威勢のよいおばちゃんが元気に応対してくれるお気に入りのお店。

いつも元気なこのおばちゃんは、オーダーをとったり料理を運んできてくれるときに、私のことを必ず母親が子どもに対して言うような調子で、「かわいいお嬢ちゃん」(①chaparrita:直訳すると、背の低いぽちゃっとした女の子のこと。②mi vida:直訳すると、私の生き甲斐=いとしい人のこと。)と呼ぶ。私は背が低くもぽっちゃりもしていないし、おばちゃんの娘でもないのだが、メキシコでは(特に大衆文化的に)こうした「大げさな」呼びかけをわりと普通に耳にする。字義通りの意味は薄れ、単なる親しみを込めた呼びかけとして定着しているのだろう。

初めて店に行ったときからこうした調子なので、普通のことだとわかってはいても、けっこうびっくりしてしまう。でも、親しみをもって呼んでくれることに、決して悪い気はしない。しかも、店に来るみんなを包んでしまうようなおばちゃんのおおらかな人柄が、まさに「母」の暖かさをもっていて、こうしたやりとりにもすぐになじんでしまうのだ。それぞれの定食屋には、それぞれの看板母の姿あり。こうした暖かみも、コミーダ・コリーダの魅力かもしれない。

6.24.2008

News Divine事件

先週の金曜日、久々に雨が降らずまだ太陽の高かった夕方、メキシコ中を怒らせる悲劇が起こった。

メキシコシティ北部のとあるディスコ"News Divine"、夕方5時の時点で店の前には200人が列を作り、店内は最大収容人数をはるかに上回る600人もの中・高生の若者で満員状態だったという。ちょうど今メキシコは中学、高校の卒業式の時期。卒業を祝う少年たちが、少し大人の格好をして友人たちとディスコに繰り出していた。そこで起こった悲劇。

この店は以前から、未成年者にお酒やドラッグを売っているとして数回メキシコシティ(連邦区)政府から強制閉鎖されていた。この日も数ヶ月前に閉鎖が解かれたばかりだったらしい。そして、どういうわけかこの金曜日の夕方、警察は200人を動員しての立ち入り検査に踏み切った。「中にいる客の一人も外に出さないように」との市警局長*の指示の下、店の裏口から外に出ようとする若者たちは警官によって道を塞がれ、暴行を受けた。それを見た若者たちは、怯えてディスコ内に戻ろうとする。小さな店の小さな通用口に、600人が押し寄せ、さらに逆流を作る。その結果、窒息や転倒、さらにはある筋によれば警官の暴行によって、多くの未成年者を含む12人もが死亡し(そのうち3名は警官と検察官)、18人がけがをするという、大惨事となった。

警察は、作戦に誤りがあったとして市警局長を停職処分にしたものの、今回の惨劇の責任者はディスコのオーナーであると主張している。店の所有者に酒・麻薬販売、また定員を越える人数を店内に入れたという責任があることは間違いない。しかし、責任としてより重要で、こうした事件を再び起こさないためにもきちんと追及されるべきなのは、警察の組織的責任であろう。

200人もの警官を動員して、警察は何がしたかったのか。卒業で沸き返る金曜の夕方、600人の少年を狭い場所に閉じ込めまわりを取り囲むことで、何をしたかったのか。600人の少年を逮捕することが目的だったのだろうか。効率性よりも派手で人目を引くことを重視している作戦が多いと、警察はこれまでにもたびたび批判を受けてきた。(派手なオペレーションは写真に撮ると「絵になる」ので、市民やお上に「仕事をしていること」を強調しやすく、好まれる。)わざわざこの日この時を選んで200人を動員しなくとも、不法な店を取り締まるもっと効率的なやり方はあったはずである。また、まだ13、14の少年たちが、200人の警官を前にしてパニックを起こすことなど、少し考えれば誰にでも予測できることだ。

この事件で、市民社会およびメキシコシティ人権委員会のような第三者組織が、どれほど事実解明に貢献し、警察<権威側>の責任を追及できるかは、メキシコの民主主義にかかわる重要な問題であると思う。しかし、メキシコに限らず、日本でも官庁などが組織的に事実をもみ消したり、責任の所在がよくわからないまま終わるのは、それほど珍しく聞こえる話でもない。先進民主主義国のカテゴリーの上にあぐらをかいていてはいけないはず。


*この場合、「市」とはメキシコシティ内の下位の政治地区単位のこと。東京都でいうと、区と市にあたる。


6.21.2008

メキシコで新聞購読

メキシコで新聞の購読を始めた。やはり新聞は紙面で読むのが私には向いているようだ。インターネットで読んでいてもあまり頭で考えながら読むことができないのだが、紙だとなんとなくそこに残っているという安心感からか、紙との間の距離の近さからか、自分のペースで読み進めることができる。

メキシコはキオスクが街のいたるところにあるので、以前は道ばたで新聞を買っていた。実際、新聞を家で購読している層はそれほど多くないのではないかと思う。しかしそうすると毎日かかさず買うというわけにはいかないし、出先で読むという中途半端な読み方になってしまうので、今こうして毎朝新聞が家に届けられる状態を気に入っている。

メキシコの主要な新聞では、批評家やジャーナリストだけでなく、著名な研究者の時事的事柄に関するコラムを毎日読むことができるのが良い。日本でも大学教授などがテレビや新聞に登場することはもちろんよくあるが、メキシコではなんというか、もっと豪華な顔ぶれというか、優れた研究者が日本よりも積極的に新聞やテレビで自分の意見を述べているのを目にする。現実の政治、学術的研究、市民/世論の距離が近く、そこにはメディアの存在が大きいように思う。

興味のある記事をはさみで切り抜いてファイルに納めるのが最近の日課となった。パソコンに向かう日々の中で、アナログに切り抜かれた贅沢な時間。

6.17.2008

事実は小説よりも

マイケル・ムーアのSickoを観た。アメリカの医療保険制度について扱ったドミュメンタリー映画。ムーア自身が語りかける。「ほかの国にできていることが、なぜアメリカにできないのか」。

アメリカには国民皆保険制度がない。(一部の高齢者および障害者医療を除いて)公的医療保険がないので、人々は民間の保険会社を利用している。しかし、保険料が高くて払えない人や、何らかの疾病を有するために加入できない人など、医療保険を持たない人口は5000万人に達するらしい。実際イェールの学生にも、家族が医療保険に入っていないと話してくれた人がいた。また、保険に加入していても油断できない。病院に行く前に事前に保険会社の許可がおりないと医療費を償還してもらえなかったり、保険会社との提携のある病院でしか診てもらえなかったり、治療に必要な手術などを申請しても「効果が確実に見込めない」との理由から却下されることもある。

映画を観ていて、アメリカの医療保険制度は、営利基本の資本主義の弊害が見事に現れた事例である気がした。保険会社は自己の利益を増幅させるために、なるべく支払い拒否の理由を見つけようとする。結果、保険会社はその資産を増し、診療拒否に協力的な医師の評価が上がることになる。医療サービスは必要に応じてではなく、患者の資産に応じて供給される。

もちろん、いかにも悪徳なこの医療保険制度の描写には少し偏りがある気がしないでもなかった。民間の保険によって救われた命もあるだろうし、また、イェール大学にもあったが、民間NGOなどが保険を持たない人や移民に、無料または廉価で医療サービスを提供するようなシステムも地域ごとにあるようだ。しかし、システム全体の根幹的な問題を怖いほどありありと描き出した点で、やはりこの映画の功績は大きいのではないかと思う。

人は健康なときにはそのありがたさを日々実感することを忘れ、また医療費に関しても漠然とした認識があるだけで自分とは関係のないものと思って過ごしている。これは至極普通のことだと思う。体を壊したときに初めて、健康であることのありがたみを実感し、治療や薬にかかるお金についても不安を抱くことになる。病気のときに、安心して医療サービスを受けられ、治療に専念できる環境にあること。健康なときに個人で備えをしておくことが難しいからこそ、こうした環境を少しでも整えておくのは政府の役目なのではないだろうか。もちろん政府は、制度の透明度を増し、より国民の信頼に応える制度を作っていく必要があるだろう。

かくいう私もここメキシコでは、日本ではちょっと考えられないくらい高い保険料を払い、民間の医療保険に加入している。メキシコはメキシコで医療制度の問題は大きいのだが、それはさておき、たとえ制度に無駄や不足があるとはいえ、日本の医療保険や生活保護などの制度は、あるだけマシである気がしてくる。必要に応じて病院に行けるなんてすばらしい。自分やその家族が、病気になったときの心配をすることなく平穏に暮らすことは、皆に認められるべき最低限の権利であるはず。世界的にみてこの達成は簡単ではないが、いい方向に向かっていると信じたい。