院生協議会から今朝届いていたメールの末尾に、「取り急ぎ要件まで」と書かれてあった。
院生協議会というのは、私が所属する大学院の研究科院生の自治会のような組織で、おそらく似たようなものが他の大学院にもあるのだろうと、よく知らないけど想像する。うちの院生協議会は、協議会規則から連絡メールの文体にいたるまで、際立って法学部的である。しかし、そうした「パロディ」にはだいたいの場合健全なアイロニーに基づく遊び心がうかがえるので(単なる杓子定規とか、あるいは「難しいことはよいことだ」という悲しい考えによるものではなくて)、私はどちらかというとそんな彼らのあり方を、(いつも海外にいるという言い訳で役職を回避してきた後ろめたさもちょっと作用して)尊敬している。
というわけで、院生協議会からのメールはときどきそのパロディめいた性格ゆえに面白いのだが、そこで先ほどのフレーズである。
「取り急ぎ要件まで」の「ようけん」に、「用件」でなく「要件」を用いているメールを、少なくとも私は初めて見た。
普通の使い方なんですか?
要件といえば、法学部的には「構成要件」とかの要件である。「なにかであるために満たすことが必要な条件」とかいう意味の要件である。でも、「重要な案件」のような意味も確かにある。今朝のメールの内容は、問題が解決されるべき期限が明日でありながら、まだその解決策が具体化されていないという意味で切迫した内容であったので、後者の意味で「要件」という言葉が使われることには問題がなさそうである。というよりむしろ、「用件」よりも「要件」の方が、選ばれるべき語彙としてより適切であるとさえいえる。取り急ぎの「ようけん」と書く場合、いくらその内容が大事でも「用件」の方が圧倒的に広く使われると思うのだが、「要件」を使った彼らの決断を、(別にそんな大げさな決心で用いられた言葉ではないにしても)私は好ましく思った。適切であるばかりでなく、本段落冒頭で述べた通り、こちらの方がずっと法学部的でもある。
日本語には同じ読みで違う漢字を当てる言葉が多くあるが、例えば厳密には「要件」であっても「用件」と書いて問題がないように、そこまで細かく概念化する必要は実際上はないのかもしれない。先日同じようなことを思ったのが、「特徴」と「特長」の違いである。厳密には「特長」と書くべきところでも、「特徴」といっても特に問題はないだろう。しかし、そうした「どっちでもいいこと」を選んで決断していくところから(意識的にせよ無意識にせよ)言葉との付き合いは始まるような気もしている。
5.31.2012
5.29.2012
レフォルマン、さなぎからかえる―特に教訓のない話
自宅から大通りに出るまでの道のりに、比較的規模の大きい交差点が一つあるのですが、その付近の中央分離帯に「レフォルマン」がいます。いつもいるというわけではなく、平日の早朝から午後2時くらいまでいます。
「レフォルマン」というのはなにかというと、メキシコの主要紙の一つ「レフォルマ」を売っている人のことです。メキシコは、「人の動きの滞るところには経済が生まれる」という定理を地でいってるので、いくつもの道が交差していて赤信号で待つ時間が長いような交差点には、必ずといっていいほど新聞売りがいるのです。新聞売りだけでなく、他にもいろんな人がいます。果物売りとか、車のフロントガラス拭きとか、なにかパフォーマンスをやってお金をもらう人たちとか。でも、私にとってなぜか一番気になるのは、レフォルマンなのです。
レフォルマンがレフォルマンと呼ばれる(というか私が呼んでいる)所以は、もちろんレフォルマ紙を売ってるからではあるのですが、正確にはレフォルマ社が用意したらしい黄色と緑のつなぎのレフォルマン・スーツに身を包んでいるからです。太もものあたりにでっかい「REFORMA」のロゴが縦に入っています。遠くからでもすぐにわかる、彼こそはレフォルマンなのです。実は私は彼からレフォルマを買ったことは、記憶にある限り1度しかないのですが、毎朝彼がいつもの場所でいつものレフォルマンであることを確認し、安心します。
彼の仕事は、信号が赤になると、停車中のいわば上り線の車にレフォルマを売って歩くことです。彼の売り方には、なんというか、スタイルがあります。別にかっこよくはないのですが、ちゃんと自分の仕事を「支配」してる感がある。レフォルマンであることは、十中八九彼が第一志望に掲げた職業ではなかろうと思うのですが、彼の態度はあたかも彼が自分の自由意志によってそこにいるかのようなのです。
そんなレフォルマンがある日、レフォルマン・スーツを脱ぎました。私が昼過ぎに息子のお迎えにいくときには、だいたいいつもの場所で早朝に引き続きまだ新聞を売っているのですが、その日は珍しく早くにさばけてしまったのでしょう。つなぎ服を腰の辺りまで脱ぎ、中央分離帯の同僚たちと楽しげに語り合っているレフォルマンを目撃しました。つなぎの下に着ていたのは無地の焦げ茶色のTシャツでしたけど、これだけでだいぶ印象が変わるものですね。なんだかレフォルマンがいつもより男前に見えました(変身ヒーローが変身前に戻った状態)。レフォルマンの表情も、ずっと素に近い感じです。レフォルマン・スーツを脱ぐ瞬間が、彼がこちら側だかあちら側だかに帰っていく瞬間なのかもしれません。
明日もいるかな、レフォルマン。
「レフォルマン」というのはなにかというと、メキシコの主要紙の一つ「レフォルマ」を売っている人のことです。メキシコは、「人の動きの滞るところには経済が生まれる」という定理を地でいってるので、いくつもの道が交差していて赤信号で待つ時間が長いような交差点には、必ずといっていいほど新聞売りがいるのです。新聞売りだけでなく、他にもいろんな人がいます。果物売りとか、車のフロントガラス拭きとか、なにかパフォーマンスをやってお金をもらう人たちとか。でも、私にとってなぜか一番気になるのは、レフォルマンなのです。
レフォルマンがレフォルマンと呼ばれる(というか私が呼んでいる)所以は、もちろんレフォルマ紙を売ってるからではあるのですが、正確にはレフォルマ社が用意したらしい黄色と緑のつなぎのレフォルマン・スーツに身を包んでいるからです。太もものあたりにでっかい「REFORMA」のロゴが縦に入っています。遠くからでもすぐにわかる、彼こそはレフォルマンなのです。実は私は彼からレフォルマを買ったことは、記憶にある限り1度しかないのですが、毎朝彼がいつもの場所でいつものレフォルマンであることを確認し、安心します。
彼の仕事は、信号が赤になると、停車中のいわば上り線の車にレフォルマを売って歩くことです。彼の売り方には、なんというか、スタイルがあります。別にかっこよくはないのですが、ちゃんと自分の仕事を「支配」してる感がある。レフォルマンであることは、十中八九彼が第一志望に掲げた職業ではなかろうと思うのですが、彼の態度はあたかも彼が自分の自由意志によってそこにいるかのようなのです。
そんなレフォルマンがある日、レフォルマン・スーツを脱ぎました。私が昼過ぎに息子のお迎えにいくときには、だいたいいつもの場所で早朝に引き続きまだ新聞を売っているのですが、その日は珍しく早くにさばけてしまったのでしょう。つなぎ服を腰の辺りまで脱ぎ、中央分離帯の同僚たちと楽しげに語り合っているレフォルマンを目撃しました。つなぎの下に着ていたのは無地の焦げ茶色のTシャツでしたけど、これだけでだいぶ印象が変わるものですね。なんだかレフォルマンがいつもより男前に見えました(変身ヒーローが変身前に戻った状態)。レフォルマンの表情も、ずっと素に近い感じです。レフォルマン・スーツを脱ぐ瞬間が、彼がこちら側だかあちら側だかに帰っていく瞬間なのかもしれません。
明日もいるかな、レフォルマン。
5.23.2012
メキシコのルクセンブルク
私が大学院に入ったのは、ローザ・ルクセンブルクにはなれそうになかったからですが、つい2週間ほど前からメキシコ政治が面白いことになってきました。スローガンは、「目覚めよ、メヒコ! (México, despierta!)」です。
はじまりは、イベロアメリカ大学というメキシコシティの私立大学で行なわれた旧与党大統領候補者講演会で、同候補者に対する学生の激しい抗議運動が勃発したことでした。講演会というのも、はじめから講堂には旧与党シンパのみを集めておいて、質疑応答も事前に質問者と内容を決めておくというあからさまな「茶番」で、これにメキシコの独占メディアによる情報操作に対する憤りも加わり(メディアは旧与党候補者を支持)、イベロの学生たちを立ち上がらせたのでした。この「きっかけ」が起こってから、FacebookやTwitterを通じて文字通りあっというまに学生運動はメキシコ全土に広がりました。民主的なメキシコ、表現の自由のあるメキシコを求めて。「うねり」を起こす準備はとっくの昔にできていて、必要だったのは「きっかけ」だったわけです。
もしかしたら何かが変わるかもしれない。僕たち市民の多くが、「そうであるとすれば、今がそのときである」という認識を共有している。おそらくエジプトやチュニジアにも、同じ空気があったのだろうと想像できます(ローザ・ルクセンブルクのドイツ、ポーランドにも)。私が初めてメキシコに留学した2005年にも、似たような空気がありました。それは最終的には実らなかったのですが、その「うねり」を実感できたことや、それによって政治が確かに動いたことは、私のその後の研究に鮮やかな刻印を残したと思っています。
選挙も最後までわからなくなってきました。
メキシコは、目覚めるのだろうか。
はじまりは、イベロアメリカ大学というメキシコシティの私立大学で行なわれた旧与党大統領候補者講演会で、同候補者に対する学生の激しい抗議運動が勃発したことでした。講演会というのも、はじめから講堂には旧与党シンパのみを集めておいて、質疑応答も事前に質問者と内容を決めておくというあからさまな「茶番」で、これにメキシコの独占メディアによる情報操作に対する憤りも加わり(メディアは旧与党候補者を支持)、イベロの学生たちを立ち上がらせたのでした。この「きっかけ」が起こってから、FacebookやTwitterを通じて文字通りあっというまに学生運動はメキシコ全土に広がりました。民主的なメキシコ、表現の自由のあるメキシコを求めて。「うねり」を起こす準備はとっくの昔にできていて、必要だったのは「きっかけ」だったわけです。
もしかしたら何かが変わるかもしれない。僕たち市民の多くが、「そうであるとすれば、今がそのときである」という認識を共有している。おそらくエジプトやチュニジアにも、同じ空気があったのだろうと想像できます(ローザ・ルクセンブルクのドイツ、ポーランドにも)。私が初めてメキシコに留学した2005年にも、似たような空気がありました。それは最終的には実らなかったのですが、その「うねり」を実感できたことや、それによって政治が確かに動いたことは、私のその後の研究に鮮やかな刻印を残したと思っています。
選挙も最後までわからなくなってきました。
メキシコは、目覚めるのだろうか。
5.22.2012
シャルルといえば
ド・ゴールだろうか。それともボードレールか。
私はそのいずれにもあまり関係がないが(残念ながら)、フランスに行った友人はなんだかそんな感じの邸宅に仮住まいしているらしく、うらやましいかぎりである。
シャルルというよりはカルロスが優勢のメキシコシティで、昨日ちょっと山に登ってみた。うちの裏手にそびえる、アフスコ山である。メキシコシティで山に登るということは、必然的に3000メートル級の山登りをすることを意味する。そしたら変な虫に刺されて、今朝になって手首の内側がもこっと腫れた。うーん、フランスの田舎にはいなそうな虫である。虫も先進国と後進国を選ぶということか。
でも、山小屋で出してもらったメキシコ風煮出しコーヒー(cafe de olla)は美味しかった。シナモンとかのスパイスが効いていて、甘くとろっとしてて温まる。コーヒーを飲みながら、アメリカの作家が書いたノルウェーの話を読んでいたら、いったいここはどこだったっけとよくわからなくなってきた。
5.20.2012
夢
最近よく同じ主題の夢をみます。
その主題とは、「飛行機に乗り遅れそうで、すごく急いでいて、はらはらするのだけど、結局ぎりぎりで間に合う」というものです。
ざっとあらすじをいえばこれだけなのですが、実際一つ一つの夢の「様式」は違っています。例えば、昨晩みた夢では、どうやら都内のホテルに泊まっていて寝過ごしたみたいで、成田に向かうリムジンバスに慌てて乗ろうとするのだけど、あまりよく覚えてませんがいろいろ障壁があってなかなかバスに乗れない、フライトはあと3時間後に迫っている、で、はらはらするのですが、結局バスに乗れました。その前に記憶のある夢では、モスクワの空港みたいな空港(モスクワに行ったことは一度もありませんが、あれはモスクワをモデルにしているという確信がある。あ、でも、もしかすると深夜のJFKの第5ターミナルとかかもしれない)で迷子になっていて、荷物を引きずりながらはらはらしているのですが、結局飛行機に乗れたみたいで、座席がビジネスクラスみたいで快適でした。
今朝起きて、この主題の夢を最近よくみることに気づいたのですが、厳密に何回みたかは覚えていません。ぼんやり覚えている限りで、少なくとも今年に入って4回はみてると思いますが、4回同じ主題の夢といえばどう考えても多い気がします。
こういうことがあると、そこにシンボリックな何か以上の「暗示」を求めたがるのが人情というもので、これは予知夢だろうかなどと考えてしまうのですが、おそらく「公平性の観点」からすれば、逆の因果関係のもっともらしさについても考えておく必要がありそうです。つまり、「夢→(将来的な)現実」ではなくて、「過去の経験に基づく深層心理+疲れ→夢」という因果関係です。後者の方が圧倒的にロマンチックでないのですが(特に「疲れ」という要因などまったくロマンチックではない)、「公平性の観点」からは、妥当そうです。(なお、ロマンチックかそうでないかは、私にとって人生における幅広い選択の際の重要な基準の一つです。)
ようするに、私はいろんなことをぎりぎりで乗り切るところがしばしばあって、実はそれにけっこう疲れていて、こういう夢をよくみるのかもしれません。そして思うに、夢というのは一種の昇華なんですよね。デトックスともいえるかもしれない。もしかすると、なるべく覚えておいたりすることなく、どんどん夢をみた先から忘れて外に出していった方がいいものなのかもしれません。精神的な疲れや負担を、夢によって解放している側面は大きい気がします。おそらく夢をみることができなかったら、現実世界に何らかの代替行為を求める必要が生じてくるのではないでしょうか。そして、「ひとの夢」しか見ることができないのも、他人の老廃物を一手に引き受けることになるわけですから、苦しそうです。
「この世界は、たくまずして残酷でもある能力を、むやみに人に押しつける。持たされてしまったものを人が使いこなせるかどうか、世界の知ったことではない。」
・・・純文学と通俗小説の境目がやっぱりよくわからない。
その主題とは、「飛行機に乗り遅れそうで、すごく急いでいて、はらはらするのだけど、結局ぎりぎりで間に合う」というものです。
ざっとあらすじをいえばこれだけなのですが、実際一つ一つの夢の「様式」は違っています。例えば、昨晩みた夢では、どうやら都内のホテルに泊まっていて寝過ごしたみたいで、成田に向かうリムジンバスに慌てて乗ろうとするのだけど、あまりよく覚えてませんがいろいろ障壁があってなかなかバスに乗れない、フライトはあと3時間後に迫っている、で、はらはらするのですが、結局バスに乗れました。その前に記憶のある夢では、モスクワの空港みたいな空港(モスクワに行ったことは一度もありませんが、あれはモスクワをモデルにしているという確信がある。あ、でも、もしかすると深夜のJFKの第5ターミナルとかかもしれない)で迷子になっていて、荷物を引きずりながらはらはらしているのですが、結局飛行機に乗れたみたいで、座席がビジネスクラスみたいで快適でした。
今朝起きて、この主題の夢を最近よくみることに気づいたのですが、厳密に何回みたかは覚えていません。ぼんやり覚えている限りで、少なくとも今年に入って4回はみてると思いますが、4回同じ主題の夢といえばどう考えても多い気がします。
こういうことがあると、そこにシンボリックな何か以上の「暗示」を求めたがるのが人情というもので、これは予知夢だろうかなどと考えてしまうのですが、おそらく「公平性の観点」からすれば、逆の因果関係のもっともらしさについても考えておく必要がありそうです。つまり、「夢→(将来的な)現実」ではなくて、「過去の経験に基づく深層心理+疲れ→夢」という因果関係です。後者の方が圧倒的にロマンチックでないのですが(特に「疲れ」という要因などまったくロマンチックではない)、「公平性の観点」からは、妥当そうです。(なお、ロマンチックかそうでないかは、私にとって人生における幅広い選択の際の重要な基準の一つです。)
ようするに、私はいろんなことをぎりぎりで乗り切るところがしばしばあって、実はそれにけっこう疲れていて、こういう夢をよくみるのかもしれません。そして思うに、夢というのは一種の昇華なんですよね。デトックスともいえるかもしれない。もしかすると、なるべく覚えておいたりすることなく、どんどん夢をみた先から忘れて外に出していった方がいいものなのかもしれません。精神的な疲れや負担を、夢によって解放している側面は大きい気がします。おそらく夢をみることができなかったら、現実世界に何らかの代替行為を求める必要が生じてくるのではないでしょうか。そして、「ひとの夢」しか見ることができないのも、他人の老廃物を一手に引き受けることになるわけですから、苦しそうです。
「この世界は、たくまずして残酷でもある能力を、むやみに人に押しつける。持たされてしまったものを人が使いこなせるかどうか、世界の知ったことではない。」
ジョン・アーヴィング「ひとの夢」
・・・純文学と通俗小説の境目がやっぱりよくわからない。
そして人生の輪は続く
今日はメキシコの作家エレナ・ポニアトゥスカの80歳の誕生日らしいです。そして、4日前に逝去したカルロス・フエンテスの最後の手記が、彼女に宛てた誕生日のメッセージだったらしい、と今朝の新聞で知りました。"¿Pobre Princesa?"(貧しいお姫さま?)で始まるそのメッセージに、彼女がとても「豊かな」人生を送ってきたことがうかがえて、嬉しい気持ちになりました(ポニアトゥスカはポーランドの貴族の出なのですが、左翼を代表する知識人の一人です。この辺が、「貧しいお姫さま」という、ちょっと言葉遊びを含んだ表現につながっています。)メッセージの全文は以下の通り(すみません、スペイン語でそのまま)。
"¿Pobre Princesa? ¿O princesa pobre? Nada de eso: la ciudadana Poniatowska es nuestra y es rica: rica en afectos, rica por lo mucho que da y lo mucho que recibe ¡Rica princesa! Carlos Fuentes".
そして、今日が誕生日でもない息子は、スーパーで袋入りの風船を買ってもらってご機嫌です。今からふくらますのだそうです。だって、きょうはぼくのたんじょうびでしょ〜、って。
"¿Pobre Princesa? ¿O princesa pobre? Nada de eso: la ciudadana Poniatowska es nuestra y es rica: rica en afectos, rica por lo mucho que da y lo mucho que recibe ¡Rica princesa! Carlos Fuentes".
そして、今日が誕生日でもない息子は、スーパーで袋入りの風船を買ってもらってご機嫌です。今からふくらますのだそうです。だって、きょうはぼくのたんじょうびでしょ〜、って。
5.18.2012
ぼくがこの国にいる理由
外国に住んだことのある方にはうなずいていただけると思うが、外国に住んでいると「はぁ〜?」と思うことも日常的に多くあるものの、それでもそこに住み続ける理由は、その土地の素朴な人たちに親切にしてもらった経験があるから、というところが大きいのではないだろうか。その国を好きになるも嫌いになるも、結局のところ「人」なのである。
スリに遭うとひどく落ち込むし、挑発的な運転手にクラクションを鳴らされると腹も立つ。雨のたびに停電になるなんて、これでOECD加盟国だなんて笑わせる、と悪態をつくこともあるさ。アメリカにいたときには、すべてが功利主義的に動いている資本主義経済の成れの果てにいささか閉口したものだった(この国では「親切」にもお金がかかるのか!)。アルゼンチンの税関の腐敗ぶりはすごくって、日本から来る小包になぜか50%の関税をかけられたりもしたし。
それでも、その土地の人の小さな温かさに接するだけで、なんだいい国じゃん、って思うんですよね。道ばたとかで、なんだけど。だから、嫌なことがあったらそれだけなおのこと、その辺のおばちゃんと世間話をすることが心の快復に一番効果的だと思っています。その国のことを好きな気にさせてくれる人たちというのは往々にして、全然偉くて立派な人とかではなく、オーディナリィで、「素朴で」(sencillo)、そして「疲れを知らない」(incansable)人たちであることが多いんですよね。
研究についても同じかもしれません。
私はこれまでハクロン関連で、メキシコ・アルゼンチン・ウルグアイの政治家や保険会社の社長、それから労働組合の人たちなどに、インタビューをしたり、調査に協力してもらったりしてきたのですが、ラテンアメリカでは日本よりもずっとまだまだ「階級」が生きていて、これらの人々の社会的階級も、思想的な背景も、実にさまざまなものでした。中には、私が信じているものと必ずしも意見の一致を見ない人たちもたくさんいたわけですが、それでも、これまでインタビューをしたうちで嫌な印象をもった人は一人もいません。むしろ、ああ、それも正しいな、といつも思う。保守でも革新でも、突き詰めれば一緒だといつも思う。みんな自分の国のことが好きな人たちで(文句をいうときにすらそれが伝わってくる)、そういう人たち自身の魅力を通じて、私はその国に恋をしてきた気がします。だいたいインタビューを承諾してくれる人というのは、極東から来たハポネシータのくだらない質問に時間を割いてくれる奇人たちばかりなわけで、そういう何の得にもならない「非合理的な」選択をする人たちは、やはり何かしらの信念をもって動いていることが多いんですよね。
インタビューなどでいろんな人と知り合って話をしたことで、私はこの3か国のことをそれだけよけいに好きになりました。私は非常に人見知りなので、インタビューの前は決まっておなかが痛くなるのですが(いまだに)、インタビューを終えた後には必ずやってよかったなと思います。
結局、人、なんですよね。
私のハクロンが完成してくれる日がくれば、それはこれらの「疲れを知らない人たち」に捧げられることになるだろうと思います。
スリに遭うとひどく落ち込むし、挑発的な運転手にクラクションを鳴らされると腹も立つ。雨のたびに停電になるなんて、これでOECD加盟国だなんて笑わせる、と悪態をつくこともあるさ。アメリカにいたときには、すべてが功利主義的に動いている資本主義経済の成れの果てにいささか閉口したものだった(この国では「親切」にもお金がかかるのか!)。アルゼンチンの税関の腐敗ぶりはすごくって、日本から来る小包になぜか50%の関税をかけられたりもしたし。
それでも、その土地の人の小さな温かさに接するだけで、なんだいい国じゃん、って思うんですよね。道ばたとかで、なんだけど。だから、嫌なことがあったらそれだけなおのこと、その辺のおばちゃんと世間話をすることが心の快復に一番効果的だと思っています。その国のことを好きな気にさせてくれる人たちというのは往々にして、全然偉くて立派な人とかではなく、オーディナリィで、「素朴で」(sencillo)、そして「疲れを知らない」(incansable)人たちであることが多いんですよね。
研究についても同じかもしれません。
私はこれまでハクロン関連で、メキシコ・アルゼンチン・ウルグアイの政治家や保険会社の社長、それから労働組合の人たちなどに、インタビューをしたり、調査に協力してもらったりしてきたのですが、ラテンアメリカでは日本よりもずっとまだまだ「階級」が生きていて、これらの人々の社会的階級も、思想的な背景も、実にさまざまなものでした。中には、私が信じているものと必ずしも意見の一致を見ない人たちもたくさんいたわけですが、それでも、これまでインタビューをしたうちで嫌な印象をもった人は一人もいません。むしろ、ああ、それも正しいな、といつも思う。保守でも革新でも、突き詰めれば一緒だといつも思う。みんな自分の国のことが好きな人たちで(文句をいうときにすらそれが伝わってくる)、そういう人たち自身の魅力を通じて、私はその国に恋をしてきた気がします。だいたいインタビューを承諾してくれる人というのは、極東から来たハポネシータのくだらない質問に時間を割いてくれる奇人たちばかりなわけで、そういう何の得にもならない「非合理的な」選択をする人たちは、やはり何かしらの信念をもって動いていることが多いんですよね。
インタビューなどでいろんな人と知り合って話をしたことで、私はこの3か国のことをそれだけよけいに好きになりました。私は非常に人見知りなので、インタビューの前は決まっておなかが痛くなるのですが(いまだに)、インタビューを終えた後には必ずやってよかったなと思います。
結局、人、なんですよね。
私のハクロンが完成してくれる日がくれば、それはこれらの「疲れを知らない人たち」に捧げられることになるだろうと思います。
5.16.2012
みみをすませー ららら
なりきりヒーローの息子氏ですが、相変わらず彼が好きなのは、長靴をはいたネコと鉄腕アトムと三銃士。たぶん、この順番に好きです。長靴をはいたネコに関しては、手作りのなりきり仮装セットがあって、だいぶ面白いのでそのうち写真をアップします。上の写真はアトムせんせいのまねっこ(よく見ると、画面に映るアトムと同じポーズをとっています)。背中についてるのは「マント」ですが、ご案内の通りアトムにマントはありません。アンパンマンとか、他のヒーローがいろいろまざっているようです。
ママはというと、申請書が無事に終わったのでハクロンに戻ってきました。最近、論文というのは、「宣言」と「定義」でほとんどが決まるのではないかという気がしています。もしかすると当たり前かもしれないし、もしかすると全然違うかもしれませんが。「この二本の直線は平行で永遠に交わらないこととする」って、初めに言ってしまわないといけない。論文は、手品でも小説でもないので、先に種明かしをやらないといけないのです。ロマンチックじゃないよなー。
5.14.2012
ブエノスアイレスの視覚的思い出
夏のブエノスアイレスといえば思い出すのが、ブエノスっ娘たちのサマードレスである。
私はそれまで、小説などに出てくる「サマードレス」というものを具体的に思い描くことができなかった。ワンピースとなにが違うのか、よくわからなかったし。ブエノスアイレスの彼女たちの着こなしを見て、なるほどこれがサマードレスというものか、小説家たちがサマードレスと騒ぎ立てる意味もわかる、たしかに素敵だ、と合点がいったのである。
夏のブエノスアイレスは、サマードレスで溢れていた。彼女たち(とサマードレス)に共通する特徴を抽出した結果、サマードレスの条件は3つ。第一に、サマードレスはノースリーブで、丈は膝上10センチ程度でなければならない。第二に、サマードレスには素足にサンダルでなければならない。第三に、これがサマードレスのサマードレスたるゆえんであると思うのだが、それはまるで初めから彼女のためにあつらえられたかのように、体にしかるべくフィットしていなければならない。この3点をクリアできれば ―サマードレスの本質にかかわるのは特に3点目であるが― それはもうサマードレスということになる。
今でも思い出すのは、ミクロセントロ方面に向かうバスの中で見かけた彼女のサマードレスである。白い綿生地に大きな花のプリントが印象的なサマードレスだったのだが、間違いなくあれは、「彼女のためのサマードレス」だった。無造作にまとめられた髪もサマードレスにとてもよく馴染んでいて、すごく暑い日だったのに、彼女のまわりだけ涼しげな時間が流れていたなあ。
実はもうすぐブエノスアイレス(とモンテビデオ)に行くのだが、今回は夏ではなく、あちらの季節は冬である。ハクロンがかかっているので、一生懸命頑張って調査をしなければならないのだが、なにより久しぶりの一人旅というところが一番の楽しみである。一人旅で目的地がブエノスアイレスとモンテビデオ、というところもよい。そして、一人旅で冬、というところもすごくよい。あのカフェに行って、あの本を読もうと、今から心を踊らせている。
私はそれまで、小説などに出てくる「サマードレス」というものを具体的に思い描くことができなかった。ワンピースとなにが違うのか、よくわからなかったし。ブエノスアイレスの彼女たちの着こなしを見て、なるほどこれがサマードレスというものか、小説家たちがサマードレスと騒ぎ立てる意味もわかる、たしかに素敵だ、と合点がいったのである。
夏のブエノスアイレスは、サマードレスで溢れていた。彼女たち(とサマードレス)に共通する特徴を抽出した結果、サマードレスの条件は3つ。第一に、サマードレスはノースリーブで、丈は膝上10センチ程度でなければならない。第二に、サマードレスには素足にサンダルでなければならない。第三に、これがサマードレスのサマードレスたるゆえんであると思うのだが、それはまるで初めから彼女のためにあつらえられたかのように、体にしかるべくフィットしていなければならない。この3点をクリアできれば ―サマードレスの本質にかかわるのは特に3点目であるが― それはもうサマードレスということになる。
今でも思い出すのは、ミクロセントロ方面に向かうバスの中で見かけた彼女のサマードレスである。白い綿生地に大きな花のプリントが印象的なサマードレスだったのだが、間違いなくあれは、「彼女のためのサマードレス」だった。無造作にまとめられた髪もサマードレスにとてもよく馴染んでいて、すごく暑い日だったのに、彼女のまわりだけ涼しげな時間が流れていたなあ。
実はもうすぐブエノスアイレス(とモンテビデオ)に行くのだが、今回は夏ではなく、あちらの季節は冬である。ハクロンがかかっているので、一生懸命頑張って調査をしなければならないのだが、なにより久しぶりの一人旅というところが一番の楽しみである。一人旅で目的地がブエノスアイレスとモンテビデオ、というところもよい。そして、一人旅で冬、というところもすごくよい。あのカフェに行って、あの本を読もうと、今から心を踊らせている。
5.08.2012
ちょっと選挙のこととか
地震が増えたり、火山灰が降ってきたり、終末の様相を呈してきたメキシコシティにまだ住んでいる桃亀です、おひさしぶりです。
なんか近くの火山が活動を活発化させてるんですよねー。
噴火したら、近隣の村々は間違いなくポンペイ状態になるらしいですけど、メキシコシティにどのような影響が出るのかはよくわかりません。麻薬問題も泥沼化だし、ぜんぜん景気のいい話のないメキシコですが、みんなそれなりに小さい幸せを見つけながら日々タコスを食べて生きてます。
そんなメキシコで、もうすぐ選挙なんですよー。
それに先立ち、先日メキシコ全土で「こどもせんきょ」なるものが実施されまして、15歳以下のこどもたちが投票しました!むすこはまだチビっこなので、「ぼくのおうち」をテーマに絵を描いて投票しました(これも実は、社会格差などを浮き彫りにする意図的なテーマなんですが)。6歳以上は、アンケート用紙みたいなのに無記名で答えて投票するのですが、内容を見たところけっこう過激です…。
たとえば、
「家族の誰かや学校の先生があなたの体を強引に触って、その後誰にもいうなと言われたことがありますか?」
とか、
「近所で銃撃戦を見たり、その音をきいたりしたことがありますか?」
とか。
後者は麻薬関連なんですよね…。地方の治安はかなり悪化していて、白昼銃撃戦(マフィアどうしとか、マフィア対陸軍とか)も日常茶飯事です。かつてラテンアメリカでボゴタ(コロンビアの首都)の次に危ないといわれたメキシコシティが、今メキシコでもっとも安全な街といわれているくらいなのです。
この「こどもせんきょ」の結果は数週間で選管がまとめて公表し、大統領候補者たちにそれぞれこどもたちへの公約を述べさせるみたいです。
ちなみにオトナの選挙では、昨晩大統領選候補者4人のテレビ討論がありました。まともな人が見れば、今回の選挙は(も)大いなる消去法選挙か・・・という感じでしたが、今までのところ旧与党が返り咲くのではないかという認識が一般的です。このあたりも終末感を増すのに一役かっている、ここ最近のメキシコです。
5.02.2012
へんがお
息子の特技は・・・・・・・・・
へんがおです。
わらうと天使なのに・・・・・
へんなかおをします。
ママとのツーショットでも・・・・・
わらってると思ったらへんがおしてたりするので、
ようちゅういです。
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