2.21.2009

セバスチャンではなくシンノスケの方が似合う

赤子の泣き方にもいろいろあって、かまってほしいときには泣きまねっぽい声を出すし、おなかがすいたときや眠いときでも微妙に泣き方が違う。

先日車で移動中のときのこと、後部座席に備え付けられたチャイルドシートに乗せられている赤子が泣き出した。チャイルドシートがお気に召さない上、おなかすいた+眠いの要素も加わった、もうこうなるとどうしようもないという泣き方だ。隣に座ったセルが必死にあやすけど、その甲斐無し。私も運転席から声をかけるけど、赤子はそれをまったく無視して泣き続けている。

ふと、スペイン語ではなくて日本語で話しかけてみた。
「もうすぐつくよー。おりこうさんね。」
すると、一瞬「あれ?」といった間があり、赤子が泣き止んだ。

平日私が赤子と二人でいるときは、当たり前だけど彼には日本語で話しかけている。
「これが『母語』(lengua materna: mother tongue)ってことだよね。父語ではなく。」とセルと納得。
スペイン語社会の中にあっても、赤子の母語は、まぎれもなく日本語なのだ。

そんな赤子も急成長中です。
お友達のマコト(写真右)と空手の練習中↓

2.11.2009

子どもに寛容な国

メキシコではいたるところに子どもがあふれている。
国民の平均年齢が23歳というから驚きだ(ちなみに日本はその倍の46歳程度)。
どこに行っても子ども子ども。

よって、子どもの遊ぶスペースを備えたファーストフードのお店やレストランなどもよく見かけるし、ショッピングモールに行けば車型ベビーカーの貸し出しがあったり、映画館では音量を抑え館内を少し明るくした、赤ちゃんとママパパのための上映の回が設けられていたりといたれりつくせりだ。たいていの場所に子ども連れで気兼ねなく行けるのは、日本の事情とはだいぶ違うように感じている。

先日、メキシコシティの代官山的おしゃれ地区「コンデッサ」を散歩していて、以前から気になっていた釜焼きピザのお店に行くことにした。外装がとてもおしゃれだったため、赤子と入るのを少し躊躇したが、お店の中に足を踏み入れてみると、お客の半分が子ども連れ。店員さんもこちらが赤子を連れていることを気にかけた様子もなく、奥の席にどうぞと普通の対応だ。赤子を抱いたまま席について注文を終えたところに、若いセニョーラが1歳半くらいの女の子を連れて私に話しかけてきた。
「抱いたまま食べるのは大変でしょ。うちのベビーカーを貸してあげるわよ」
と、ベッドのように角度を変えられる素敵な青色のベビーカーを赤子に貸してくれた。赤子は自分のベビーカーは嫌いなくせに、貸してもらったベビーカーはいたく気に入った様子。お店で他のお客さんにベビーカーを貸してもらうというのも、こどもの国メキシコならではだなあと思った。

おかげで大変おいしくいただきました。

メキシコって、設備の面などからすると初歩的インフラも不十分だし、決して子どもにやさしい国ではないと思うけれど、みんな子ども大好きの子どもに寛容な国だと思う。



2.10.2009

またふと思う

赤子にはどんなひとになってほしいかな、なんて考えていて、「いつも笑顔が素敵で人生を楽しめるひと」がいいな、と思った。その後に、赤子にこんなたいそうなことを期待するなら、自分がそういうひとの一人でないと説得力ないよな、と思った。何事でも、私が心から信じて、自然に実行していることでないと、きっと赤子には伝わらないだろう。彼らは私たちが思っているよりずっと賢いしするどい。


赤子との日々の中でふと思う

赤ちゃんの成長には驚かされると、噂にはきいていたけれど、実際本当にすごい。しかも、「2月3日、○○ができるようなった」という成長の仕方ではなくて、あらゆることが「いつのまにか」できるようになっているのである。おもちゃを目で追うのも、うつぶせにすると頭をあげるのも、ご機嫌なときは声を出しておしゃべりするのも、こちらがあやすのに反応して笑うのも、すべていつのまにかできるようになっていたことで、いったいいつからできるようになったのか思い出せない。まるで生まれたときからそんなことできていたような気さえしてくるのである。

こんな調子で、気づいたら歩いているのかな。

小さいけれど、赤子はすでにしっかりと自分の人格をもっている。誰にも属さない、一人の個人として。このチイサナヒトが本当に私のお腹に入っていたなんて、まるで信じがたい事実だ。事実と真実は似て非なるもので。コウノトリが何かのご褒美に我が家に連れてきてくれたと思った方が、私にとってはずっと真実に近く感じられる。