同年代の男の子たちにはどちらかというと「僕」派の方が多かったから、初対面で「私」と言う人に会うとかえってときめいたりするのだが、大学教授で「僕」は珍しい。教授の「僕」は、正しい日本語の発音でそこにあった。それは特にセクシーではなかったけれど、私は教授の「僕」が好きだった。
教授に初めて会ったとき、彼はまだ助教授だった。その後、国のキマリゴトが変わったとかで、助教授は准教授になった。それから1年もしないうちに、今度は優秀でとてもいい論文を書いたとかで、准教授は教授になったのだった。さなぎが蝶に変わるような、めくるめく変身である。
自分のことを「僕」という教授の書く論文は、難解であることで定評がある。そもそも内容自体が難しい上に、文体が複雑なのだ。例えば、
「前記の経緯から、前者と先記の議論では、非合理性に対するアプローチがまったく異なるわけではない(少なくとも前提としては)ことが示唆される」
とか書いてある。指示語や挿入句がやたら多く、しかも否定句などが駆使されるので、文法を習ったばかりの外国語を読んでいるような気持ちになる。
匿名の査読者からは、教授の論文は「外国作品の影響を色濃く受けているものの、その作品に込められた感性は著者独自のものといってよく、また技術的にも隙がない」と評されたりする。でも、教授の友人や同僚は、彼の文体については何も言わない。なぜなら、よくよく時間をかけて読んでみれば彼が言っていることがとても正しいとわかるし、なにより、彼が全然悪い人間ではないからだ。そして私も、ある種確立した教授のスタイルが、好きか嫌いかでいえば、とても好きである。
そんな教授の研究室の本の整理を、以前に手伝ったことがある。もう一人来るはずだった学生が急用で帰省したとかで、手伝いは私ひとりとなり、11時に始まった作業は、昼食を挟んで夕方の6時にまで及んだ。ようやく片付けも終わり帰る支度をしていると、
「これ、さっき本の間に見つけたんだけど」
と、教授が白い長方形の紙を差し出して言った。
「僕がまだ助手3年目くらいの頃に、国際会議に来ていたエチェベリア大統領にもらったものなんだ。メキシコ政治を勉強しているって言ったら、『それは勉強しがいのあるテーマを選んだね』って笑って言われたけど」
名刺には、
ルイス・エチェベリア・アルバレス
メキシコ合衆国大統領
とだけ印刷されていた。
世界一シンプルで、世界一役に立たない名刺だった。
(ちなみに、驚かれることが多いので付記しておくと、メキシコは合衆国である。英語の正式名称は、United Mexican Statesである。もちろんアメリカ合衆国を真似したのである。しかし、United States of Mexicoとしなかったあたりに、メキシコ人のぎりぎりのオリジナリティが感じられよう。それにしても、日本語ではなぜ合州国ではなく合衆国と書くのだろう。字面か画数の問題ではないかと私は見ている。)
そんなわけで、本の整理をしたお礼に、私は大統領の名刺を手に入れた。なんだか幸運のお守りのような気がしたので、財布の中に入れていつも持ち歩くことにした。
それから半年後、夏休みが来て長崎に帰省した。財布の中の大統領の名刺のことなどすっかり忘れて駅前を歩いていると、偶然にも高校の同級生に遭遇した。そろそろ夕飯時だったので、せっかくだからちょっと飲みにいこうという話になり、近くの適当に食事もできそうな居酒屋に入った。
思い出話に一花咲かせ、きなこのかかった抹茶アイスクリームやら白玉やらコーンフレークやらをつついている段階になって、彼女がおもむろに告白した。
「実は今日、誕生日なんよね」
すっかり忘れていた。そういえば7月生まれだったかもしれない。しかし日本人というのは、どうして自分から誕生日を言いたがらないのだろう。外国人はだいたい1週間くらい前から誕生日を宣伝して回って、当日は盛大に皆に祝われるのを当然だと思っているのだが。デザートとかさ、頼む前だったらもっと演出してもらえたのに。
私は、手持ちの品でなにかプレゼントになりそうなものを考えてみたが、あいにく何も持ち合わせていなかった。そのとき、大統領の名刺のことを思い出した。大統領の名刺って、なかなか手に入りにくいだろうし、プレゼントとしてはよいかもしれない。手放すのはちょっと惜しい気もするが、あげて痛くもかゆくもないものは、逆にプレゼントとしては不適切であろう。とかいうことを考えて、彼女に大統領の名刺を渡した。
「ほら、学部のときに二外でスペイン語とったって言ってたし、スペイン語界ではわりと有名な人だから。もってて損はないから。あげる。」
彼女は特に関心もない風に名刺に目をやったけど、その後にっこりして「ありがとう」と言って、名刺を財布の中にしまった。
彼女がまだ大統領の名刺を大事にとっておいてくれているかどうか、わからない。「僕」教授もエチェベリア大統領も、まさかかの名刺が30年のときを経て、長崎で誕生日プレゼントに化けたなんてこと、きっと想像もしていないだろう。
世界一役に立たない名刺も、少しは役に立ったのである。
おしまい。
*今日のお話はだいたいフィクションです