今朝、息子のお弁当をかばんに詰めていた時点で、今日が休園日であったことを思い出した。がっくし!
(主にもっと寝てればよかったという意味において。)
でもお弁当は、起きてきた息子が朝ご飯に食べてくれました。
最近息子のことを書いていなかったので、書くと、アルファベットで自分の名前が綴れる(ABCで言える)ようになってしまいました。なんてことだ。ママがまったく怠惰なため、ひらがなとかは一切知りません。大好きな数字も完全にスペイン語だし、日本に帰ったらそれらがあまり通じないことにいささか驚くでしょうが、まあそのうち日本語でも覚えるでしょう。
相変わらず好きな食べ物は白米とふりかけで、ばぁばから送ってもらったアンパンマンふりかけと仮面ライダーふりかけを大事にかけて食べてます。3歳になって以降、にわかに仮面ライダーブームの到来です。きっかけは、クラスのお友達の誕生会のお返しに仮面ライダーふりかけが入っていたことなんですが。で、仮面ライダーのDVDが観たいというので、近所のレンタルビデオ屋に行ってみたところ、もちろん仮面ライダーはなくて、しかしそのかわりと言ってはなんですが、アメリカで撮られたその名も「ニンジャ・サムライ」という、ある種の「忍者」と「侍」の概念を足して2で割ったかもしれないような豪華変身ヒーロー・シリーズを発見しました。まだ「NINJA」とか読めない息子には、「仮面ライダーあったよ!」とある意味深刻な嘘をつき、息子はとても喜びました。嘘をついた甲斐がありました。現在第2巻を鑑賞中です(5巻くらいまである)。ちなみに、質はいうまでもなくけっこうひどいです。
それにしても、ここのところメキシコは炎天下が続いています。先日調査に行くのにメキシコシティ中心部を15分ほど歩いたのですが、それだけで脱水で倒れるかと思いました。太陽が強すぎて涙が止まらないので、サングラスを慌ててかけましたが、その日の晩は目が真っ赤になってました。灼熱の、という形容はまさにこの太陽のためにある、実際すべてを太陽のせいにするのも一理あるほどに、人に圧倒的な倦怠感を与え、狂気へと掻き立てる太陽であります。乾いた太陽なんだよな。
6.02.2012
5.16.2012
みみをすませー ららら
なりきりヒーローの息子氏ですが、相変わらず彼が好きなのは、長靴をはいたネコと鉄腕アトムと三銃士。たぶん、この順番に好きです。長靴をはいたネコに関しては、手作りのなりきり仮装セットがあって、だいぶ面白いのでそのうち写真をアップします。上の写真はアトムせんせいのまねっこ(よく見ると、画面に映るアトムと同じポーズをとっています)。背中についてるのは「マント」ですが、ご案内の通りアトムにマントはありません。アンパンマンとか、他のヒーローがいろいろまざっているようです。
ママはというと、申請書が無事に終わったのでハクロンに戻ってきました。最近、論文というのは、「宣言」と「定義」でほとんどが決まるのではないかという気がしています。もしかすると当たり前かもしれないし、もしかすると全然違うかもしれませんが。「この二本の直線は平行で永遠に交わらないこととする」って、初めに言ってしまわないといけない。論文は、手品でも小説でもないので、先に種明かしをやらないといけないのです。ロマンチックじゃないよなー。
5.08.2012
ちょっと選挙のこととか
地震が増えたり、火山灰が降ってきたり、終末の様相を呈してきたメキシコシティにまだ住んでいる桃亀です、おひさしぶりです。
なんか近くの火山が活動を活発化させてるんですよねー。
噴火したら、近隣の村々は間違いなくポンペイ状態になるらしいですけど、メキシコシティにどのような影響が出るのかはよくわかりません。麻薬問題も泥沼化だし、ぜんぜん景気のいい話のないメキシコですが、みんなそれなりに小さい幸せを見つけながら日々タコスを食べて生きてます。
そんなメキシコで、もうすぐ選挙なんですよー。
それに先立ち、先日メキシコ全土で「こどもせんきょ」なるものが実施されまして、15歳以下のこどもたちが投票しました!むすこはまだチビっこなので、「ぼくのおうち」をテーマに絵を描いて投票しました(これも実は、社会格差などを浮き彫りにする意図的なテーマなんですが)。6歳以上は、アンケート用紙みたいなのに無記名で答えて投票するのですが、内容を見たところけっこう過激です…。
たとえば、
「家族の誰かや学校の先生があなたの体を強引に触って、その後誰にもいうなと言われたことがありますか?」
とか、
「近所で銃撃戦を見たり、その音をきいたりしたことがありますか?」
とか。
後者は麻薬関連なんですよね…。地方の治安はかなり悪化していて、白昼銃撃戦(マフィアどうしとか、マフィア対陸軍とか)も日常茶飯事です。かつてラテンアメリカでボゴタ(コロンビアの首都)の次に危ないといわれたメキシコシティが、今メキシコでもっとも安全な街といわれているくらいなのです。
この「こどもせんきょ」の結果は数週間で選管がまとめて公表し、大統領候補者たちにそれぞれこどもたちへの公約を述べさせるみたいです。
ちなみにオトナの選挙では、昨晩大統領選候補者4人のテレビ討論がありました。まともな人が見れば、今回の選挙は(も)大いなる消去法選挙か・・・という感じでしたが、今までのところ旧与党が返り咲くのではないかという認識が一般的です。このあたりも終末感を増すのに一役かっている、ここ最近のメキシコです。
5.02.2012
へんがお
息子の特技は・・・・・・・・・
へんがおです。
わらうと天使なのに・・・・・
へんなかおをします。
ママとのツーショットでも・・・・・
わらってると思ったらへんがおしてたりするので、
ようちゅういです。
4.17.2012
オリジナル
写真はですね、テーブルの上にひからびたスパゲッティとたまごとお米をみつけた息子が作ったアンパンマンです。じょうず〜。カレーパンマンにもみえますね!
ひからびる前にママはテーブルを拭けよという感じですが。
先ほど論文を読んでいると、研究計画に書こうと思っていた「意見」がまさに書いてあって、「そう、そうなんだよ〜!」と嬉しかったと同時に、自分の意見だと思ってても、とっくの昔にだいたいのことは考えられているんだよなと、前にもつぶやいたようなことを再び思いました。ほぼ日のイトイさんによれば、吉本隆明氏いわく「人間の考えることは5世紀までにほとんど考え尽くされている」とのことでしたが、たしかに「真にオリジナル」的なことは、だいたいその辺で終わっちゃったのかもしれないですね。もちろん、もっと広義の意味での「オリジナル」は今に至るまでずっと存在するし、むしろそっちの「オリジナル」の方が、「真にオリジナル」よりも世界を面白くしてきたはずだ、量的にだけではなく質的にも、とは思うのですが。
たとえば、息子のひからびパンマンとかね。
4.16.2012
英語でもMANGO
マンゴーの季節です。
マンゴーにも旬があるのだと、考えてみれば自然なことですが、メキシコに来て初めて知りました。同様にアボカドにもおいしい時期があります。
この時期は道ばたで、マンゴー売りの押し車をよく見かけます。息子が食べてるみたいに、太い木の棒を突き刺して売るのがメキシコ流です。メキシコ人は、これにチリとかレモンをかけて食べます。
それはさておき、私の使ってる英和辞典は、電子辞書に入ってるジーニアス大辞典ですが、ときどきへーっと感心する記述や用例に出会います。おとといひいて印象に残った言葉は、「impinge」。読んでいた論文の文脈上該当しそうだった意味を、ジーニアスはこのように表現していました。
3 <思想などが>[想像力などに]影響を与える[on, upon]。
言葉を適用しうる状況が限定的すぎて、私好みであります。一応「など」って書いてあるけど、「想像力など」って、どういう種類の事象の総括なんだよって。そして、ある思想が想像力に与える影響だなんて、知的刺激に満ちていて素敵です。例えば、ある文章を読んで、その文章のための挿絵を描くような際には、まさに 言葉 impinge on「絵おこし」だといえそうですね。適切に使う機会が訪れるかどうかはわかりませんが、非常によい言葉です。ちなみに論文の文脈では、主体は思想に近かったものの、客体は想像力とはあまり関係なさそうでしたが、この言葉を採用した著者には親近感を覚えました。
英語は私にとってもっぱら「読む言語」となりつつあります。たまに「書く言語」にもなりますが、「話す言語」になる機会は近年ほとんどありません。そういえば、ニューイングランドに住んでいたときに、ホテル・ニューハンプシャーを探しに出かけなかったのがずっと後悔の種です。一応好きな作家を訊かれたら、ジョン・アーヴィングと答えるようにしているのですが。
4.14.2012
国旗の工作
はるやすみで一回やすみ
4.04.2012
哲学は生活の対義語なのか?
「扇風機の裏側に風がこないのと同じように」という比喩も使いたいけれど、そんな機会もなかなかあるものではない桃亀です、おはようございます。イースター休暇ということで、息子の従兄弟たちの住む田舎に来ています。いきなり暑い。メキシコ湾岸の長い夏です。
昨晩シャワーをあびようとしたら、蛇口をひねったところで目の前に大きなゴキブリがいることに気づきました。ハダカ対ゴキブリ。これはもう勝ち目なしなので、とりあえずそそくさと脱いだばかりの服を来て、義母に助けを求めました。彼女はちょっと恥ずかしそうに笑うと、シャワーカーテンをシャーっとひいて、手でゴキブリを払うと、床にひっくり返ったその昆虫を踏みつぶし、「有機ゴミ」となった物体を素手で拾い、なにごともなかったかのようにバスルームを去っていきました。所要時間、3秒。
その一連の無駄のない動きに、鮮やかな生の感動を覚えた私です。ゴキブリひとつ処理できないで、人生について語る資格などないなと反省しました。なんというか、われわれは、いい意味でも悪い意味でもヒマなんですね。もっと足が地についた人たちからすれば、なにをムツかしいことをごちゃごちゃと、という話です。結論はまあやはり、そういうこともあると気づいた上で、腰の低い態度で哲学しなければならない、というところでしょうか。
息子はいとこのエステバンと毎日一緒で幸せそうです。写真を落とせたら更新します。
3.26.2012
論理的なことが「正しい」とは限らない世の中です
「三速発進が不可能ではないのと同様に」という比喩を使いたいのに、なかなかそういう機会がない桃亀です、こんにちは。
どういう場合に使えるかというと、「不可能ではないが、最善でも安全でも適切でもない」というような場合です。比喩、先にありきだと、なかなかそういう状況に遭遇しませんね。
そして今日は、「虎視眈々」という言葉をスペイン語で使えましたので大満足です。
息子のスペイン語が最近急速に伸びていて、抜かれる日も近いのではないかとドキドキしています。日本語でもそうですが、こどもがどういう風に言語を習得しているかを観察するのはとても面白いです。最近気づいたことは、こどもの言語習得プロセスには、「聞いたことのある言葉をそのまま自分も使ってみる」というやり方以外にも、「ロジックを応用する」というやり方もある、ということです。あいつらかなり頭いいです。
具体的にどういうことかというと、それは言葉の「間違い方」に現れます。息子は最近、不規則動詞poner(英語のputにだいたい相当)の二人称点過去形を間違えます。おもちゃなんかを探してて、「あれどこにおいたの?」と尋ねるときに、
"Dónde lo poniste?"
というんですね。
規則動詞の「きまりごと」つまり「ロジック」をponerに適用すれば、ponisteになるわけです。しかし、ponerは不規則動詞なので、正しくはponisteではなくpusisteになります。英語でいうならば、putの過去形はputなのに、これを間違えてputtedといってるような感じです。つまり、彼は誰かがponisteといっているのを聞いてそれを真似して使ったわけではなく、自分の(無意識の)文法規則から論理的に推測して、動詞を活用させているわけです。すげえ!
日本語でも同じようなことがあります。例えば、ママに彼のジュースをちょっとくれるとき、ときどき間違えて
「ママものめて!」
といいます。正しくは当然「ママものんで」なわけですが、これも彼の知ってる言葉、例えばいらないお野菜が皿の上に載っていた場合にママに対していう「これたべて!」の活用のロジックを応用しているわけですね。すげー。
意外に論理的なんですね、こどもというのは。
しかしそれは「正解」とは限らない。
こうして世界の不条理についても理解していくのでしょうか。
しかし「間違い」の中に真の知性が現れることもまた事実ですね。
3.23.2012
国旗朝会
日本では国歌斉唱で起立するとかしないとか問題になってますが、海外の日本人学校は多くの場合、日本国内よりも国歌とか国旗とかに忠誠心を示したがります。また、一歩日本の外に出ると、国歌や国旗に愛着をもつのは国民として当然、という文化がいきなり優勢になるため、そんなに違和感を感じなくなるのも事実です。
メキシコの公立校では、毎週月曜日に「国旗朝会」があるのですが、息子の幼稚園の場合、メキシコの国旗と一緒に日本の国旗も登場します。息子のクラスが国旗係だった日に参観してきました。
右手をあげて行進・入場、国歌斉唱時は手は胸にと、日本でそんなことになったら、軍国主義かとかいわれてますます大変ですね。年少組でまともにやってる子はほとんどいませんでしたが。
君が代も、メキシコの血の気の多い国歌もうたいます。
国旗朝会のときは正装でネクタイ着用です。
母の信念に反して、国旗好きになりつつある息子といっしょに、最近毎日世界の国旗を作って遊んでいます。昨日作ったのは、キプロスとカタールとベトナムの国旗。できたのを壁にはってるので、今度写真を載せますね。
3.19.2012
実存的カザフスタン
カザフスタンの意外なでかさが気になっている。
勉強する机の前に世界地図が貼ってあるのだが、ときどきなんとはなしにぼーっと地図を眺めることがある。最近気になっているのは、カザフスタンという国の面積である。これはもしかするとアルゼンチンの次くらいにでかいのではなかろうかと思い調べてみると、果たして世界第9位、しかもほんとにアルゼンチン(第8位)に次ぐでかさであった。ちなみに、私がカザフスタンのでかさに気づいた我が世界地図はモルワイデ図法であったらしい。面積の比が正しい楕円みたいな形の地図である。
息子の部屋にも世界地図がある。最近ちょっと地図、国、国旗の概念を知りつつある彼は、ばぁばがいるのが「ハポン」であることを覚えていて、地図でここだとおしえてくれる。にーにょがいるのは「メヒコ」で、ママもここにいるんだけど、パパのお仕事はどこにあるのかと訊いてくる。パパのお仕事も「メヒコ」にあるのだとおしえてあげる。
国旗で知っているのは、日本・メキシコ・アルゼンチンの旗である。先日、国旗カードで遊んでいたところ、彼がまず興味を示したのは、先記の3か国以外には「バングラデッシュ」の旗であった。
「みどりのハポンあるよ!」
あと、キューバとタイの旗もなぜか気に入っていた(キューバは星が気に入ったらしいが、星のついてる国旗ってものすごく多いですね)。
国境のひいてある地図、国の概念、国旗・・・。
こうした高度に人工的な概念を、子どもはどんな風に触知しながら理解していくのだろう。
えせアナーキストな母は、「そんなもの所有主義者の概念だから!」と一蹴し、ちゃんとおしえてあげないことにしている。
3.16.2012
えれふぁん
ひさびさにfacebookを開いてみたら、立派に就職していった大学の同級生が「そりゅーしょんせりんぐ」についての本の感想を寄せているその下に、とある左翼ゼミで一緒だった原水協活動家の後輩(活動家の匂いは当時からしていたが、実際に活動家、しかもかなりの中心人物だと知ったのは、後にfacebookのともだち申請を受け入れてからであった)が「シンポジウム 原発・核兵器・わたしたちの未来」と「国民平和大行進」の宣伝を載せていて、軽くめまいを覚えました。
どちらからもかなり遠いなあって。
後者にかんしては、日本では「政治的である」ことってこういうことになるんですよね。言ってることも、理念のようなものも、まったく賛同できないとはいわないのだけど、なんかその雰囲気に、陶酔感・一体感のようなものに、距離をおいてしまう自分がいます。それに比べると、メキシコをはじめラテンアメリカでは、「政治的である」ことがもっと爽やかであるというか、自然であるというか、どうかすると「かっこいい」ことすらあって(ゲバラなんかに象徴されるわけですが)、こちらの方が個人的に親近感を覚えます。しかしこの点、昨年の地震以降、日本でもだいぶ変わったのかもしれませんね。
さて、話はかわって最近息子は幼稚園でいくつか英語の単語を習っているらしく、中でも大好きな「色」を英語でいうのがはやってるみたいです。そして、ママに問題も出します。
Qué color es, mami?(ママ、この色なんでしょう)
えー、あおじゃん?
Sí, es azul! Y azul qué?(そう、あおだよ!じゃ、えいごで?)
ぶるー?
Muy bien!(よくできました!)
どうも、幼稚園の先生の口調をまねしているようです。
あと、先日絵本を読んでいたら、ゾウが出てきたところで
ぞうさん!エレファンテ!エレファン!
と三か国語で言ったのでびっくり。えれふぁん!!
まあ、スペイン語と似てるからね。
今までは、日本語とスペイン語と長崎弁でトリリンガルかと思ってましたが、これは本物のトリリンガルも間近です☆まあ、日本に帰国したらスペイン語すらあやうくなりそうな予感はしますが。
3.13.2012
息子のヒーローたち
なぜか写真が反転してしまった。
息子はだれのファンかというと、長ぐつをはいたネコと三銃士と鉄腕アトムのファンである。いずれも昭和の匂いのするヒーローばかりであるが、息子の好みはだいたいにおいていささか昭和的である。長ぐつをはいたネコは、童話のではなくメキシコ(およびアメリカ)で昨年末に公開されたこちらの映画でして、日本では今週末ロードショーみたいです。正義の味方でならず者の捨てネコ「プス」にあこがれる、ハードボイルドな息子である。冬休みにはなんと3回も映画館に足を運び同じ映画を鑑賞し、最近DVDを手に入れたので、長ぐつをはいたネコブームが再来した。
"Yo soy el Gato con botas!!!"
(ぼくは長ぐつをはいたネコだい!)
こういって立ち上がると、かわいい具合に手足をくねらせて(帽子とベルトをごちゃごちゃやるのの真似らしい)ポーズをとる。面白いので、「がとこんぼた(長ぐつをはいたネコ)やってー」とママは何度もリクエストしてうるさがられます。
三銃士はいろんなアニメのモチーフになっているが、なかでも息子が好きなのは、ミッキーマウスの三銃士である。英語ではmusketeer、スペイン語ではmosquetero(モスケテーロ)という。モスケテーロという言葉がむずかしいらしく、息子はこれを「もけけてーろ」とか「もけててーろ」とかいう。面白いので、木の枝を拾ってきて三銃士の真似をする息子に、「じゃあママももけけけけけてーろね」といってうるさがられます。
そして鉄腕アトムのことを、翻訳風に「アストロボーイ」あるいは「アストロ」と呼ぶ息子である。「ママ、アストロボーイ、みるよ!」
はじまりの「そっらっをっこえて〜」の歌よりも、おわりの歌の方が気に入っているようである。「なっなっつの ちからだ わっわっわわわー」のところが特にお気に入りである。そしてどうやらウランちゃんのことが好きみたいである。
以上である。
3.08.2012
怒れない
先日来ていた友人に、
「君はほんとに怒らないね」といわれた。
息子のことを、である。
たしかに考えてみれば、息子を怒ることはあまりないかもしれない。
「どっちでもいいこと」が多いのだ。
危ないことだけはダメだと言ってきかせるけど、
それ以外のことはどっちでもいい場合が多い。
それは「どうでもいい」ということではなくて、
それなりに時間をかけて考えてみた結果、どっちでもいいのである。
例えば、壁に落書きをするとか。
ごはんの前におかしを食べるとか。
おもちゃをかたづけないとか。
着替えないとか。
しかしながら、どっちでもよくてもイライラする場合がやはりある。
これが第三のケースである。
典型的には、短期的に実現しそうにないことについて長時間泣きわめかれる場合がこれに相当する。しかもその場合は往々にして圧倒的な眠気が彼をいらだたせていることが多く、手に負えないのだ。昨晩もこのケースだった。風呂上がりに、パパがいい、もうどうしたってパパがいい、といって泣き出したのである。パパはおしごとだからね〜、まあそのうち帰ってくるわよ、というのだけど、泣き声は激しさを増す一方で、パパに電話をしても泣き止まないし、10分を過ぎたあたりでさすがにイライラしてきた。人はおそらく本能的に、他の人が泣いていると気になっちゃうようにできているのでしょうね。こちらまで不安になってくる。端的にいえば、イライラするわけです。
しかし、ちょっと考えてみると、泣いたって状況は少しも変わらないのに泣きたい、ということは誰にでもあるものです。泣くこと自体は悪いことではないし、無駄なことでもない。なので、それを頭ごなしに怒るのも私としてはフェアではないと思う部分がある。でも、隣の息子が泣き続けているのには非常にイライラしている。そこで、ふいに頭に浮かんだことを話してみました。
「あのね、泣いたってなにも変わらないわけ。そういうときは、ひと前で泣くもんじゃないのよ。そういうときは、ひとりでこっそり泣きなさい。わかった?」
すると、おそらく彼も泣き止むきっかけがつかめずに困っていたのでしょう、「わかった」というとすぐに泣き止んで、すやすや寝てしまいました。なかなかハンフリー・ボガードみたいで気に入ったので、これからはこの手でいこうと思います。
こうして私は、平和にSF小説の続きにとりかかることができたのでした(念のためいっておきますが、書いているのではなく読んでいるSF小説です)。
2.22.2012
そらをこえて ららら ほしのかなた
息子が鉄腕アトムを気に入っています。
ずっと前に買った全51話のDVDを発見して以来、毎日アストロボーイ!
メキシコ版には日本語のオリジナル音声は入ってませんが、
最初と最後の歌は日本語のままです。
ちなみに、私は息子がもっと小さいときから、彼はアトムに似てるなあと思っていました。顔と髪型が。ついに彼自身アトムを気に入ってくれて嬉しいです。
さきほど例のごとくママがぼーっとしていると、「ママ、これぜんぶたべたの?」とふいに息子にきかれまして、つまり彼が粘土で作ったスパゲッティとごはんをぜんぶ食べたのか、という質問だったようで、適当に「たべたよ、ぜんぶ」とこたえたところ、
"No es verdad... no es verdad..."(うそばっかし…)
とわるーーい感じでつぶやかれてしまいました。ぎょっとします。
面白かったので、食べるお遊びに付き合うことにしました。
スペイン語でも大人びた表現をときどきするのでおかしいです。
"En serio?"(まじで?)
とか。
こっちがそうききたくなるよ!
2.18.2012
献辞
長崎から届いた童謡のCDを息子と一緒にきいていると、こどもむけのうたでも「死」をテーマにしたものがけっこうあることに気づきました。代表的なものは「大きな古時計」でしょう。おじいさんの生まれた朝に買ってきた時計は、おじいさんが亡くなって動かなくなります。百年もの間律儀にときを刻んできた時計が動かなくなる。今はもう動かない時計によって「死」についてうたっているわけですが、あらためて聴いてみると、逆に私は「時計の気持ち」についても考えさせられる歌だなあと思いました。おじいさんの人生をずっと見てきた時計は、おじいさんの命そのものでもあり、おじいさんが天国にいってしまったときに、時計も半分死んでしまったのかもしれません。
それから、こちらは小さいときには気づかなかったのですが、「グリーン・グリーン」も似たテーマですね。「ある日パパと ふたりで かたりあったさ」というあれです。「この世に生きるよろこび そしてかなしみ(のことを)」ってなんだろうと思いながら最後まで聴いてみると、「その朝パパは でかけた とおい たびじへ / 二度とかえってこないと ぼくにもわかった」というフレーズが出てきます。二度と帰ってこないことがぼくにもわかるくらいの旅ですから、間違いなく「死」なわけです。しかし、「天国へのぼるおじいさん」よりずっとわかりにくい。歌の意味がわかるこどもは少ないのではないでしょうか。
そう考えると、よい物語や童謡というものは、おしなべて「こどもだったころのレオン・ウェルト」に捧げられているのではないかという気がしてきます。大人になってしまったサンテグジュペリの友人は、われわれみんなでもあるわけです。
ところで、今日幼稚園から「幼児生活調査票」が配られました。「家庭での教育方針」とか「外国で教育するにあたり、特に気をつけていることはどんなことですか(5点あげること)」とか、考えたこともなかったことをいろいろ書く欄があって大変そうです。
「将来お子さまがどのような社会人になることを望みますか」
1.自分の物語を生きられるような男の子になってほしいと思います。
2.16.2012
あまいあまいのおくすりの季節(咳止めシロップ)
2.15.2012
こじんめんだん
昨日、懇親会という名の二回目の個人面談がありました。
言われたことはだいたい前回と変わらなかったのですが、「どういう子か」という評価について長い話をなるべく短くすれば、
とにかくマイペースおたく体質である。お絵描き・はさみ工作等は誰よりも集中して行なうが、みんなで何かをしましょうとなるとまわりに合わせられない。先生の話はあまりにもきかないので、席を一番前にして対応した。しかし、興味のあることに対する食いつきはすごい。例えば数字と色に関してはとても興味があるようで、覚えるのも早い。図書室では他の本も勧めているのだが、車か列車の本にするといって譲らない。
しかしまあ、よいところを伸ばしましょう。
とこんな感じで、「やっぱそうですよね〜」とママはコメントするばかりでした。
それから、息子は絵本の読み聴かせの時間に、いつも隣のお友達に話しかけて全然聴かないらしく、家で本を読んでますかと訊かれました。家では本読むの大好きなんだけどね。まあでも、読書ってひとりでするものですからね、みんなと一緒に読んで何が面白いんだろう、という息子の気持ちもちょっとわかります(ってこんな親だからいけないのでしょうか)。
でも、全体に先生たちはいろいろと褒めてくれるんですよね。細かいところまで見てくれていて、ありがたいことです。家とは違う一面もあるみたいだし、へーってママはいったい誰のことだろうって思ったよ。
2.13.2012
カラめがね
"They did not solve any of the inherited problems; rather, it is difficult to find a single one that they did not worsen."
きっと書くことがとても好きなのだろうな、
ということが伝わる文章だと思いました。
この論文、さらにこう続きます。
「これらの政策が本質的に損なわれたものだったのか(intrinsically flawed)、克服できないことはない欠陥によるものだったのか(corrigible defects)、それとも政策自体には問題はないが『外発的な』政治的要因によって台無しにされてしまったのか(sound but undone by "exogenous" political factors)、さまざまな見解が飛び交い結論はでていない。」
「政策」を「精神」に読み替えても意味が通じそうです。
(ただ付言しておくと、論文に限らずそうなのでしょうが、こういう書き方は名人芸的なところがあって、著者が功績の大きい優れた政治学者なのでできるというところがあります。まあ彼ならいいかという了解がある。もちろん学生には書けない。)
と、あーだこーだいうのはおいといて、先日長崎から届いた小包に息子の好きな「がちゃがちゃ」が入っていました!中身は中身でお楽しみいただいたのですが、ある日そのがちゃがちゃの「カラ」をもってきて、「めがねみたいよ!」とのこと。息子の得意な「〜みたい」の応用です。
そこでゴムひもをつけてあげたのがこちら↓
「ママもどーぞ」と親切に譲ってくれたのでつけてみたところ、見ため通り鼻にあたってかなり痛いし視界もおぼつかなかったです。
こどもって変なものを気に入るよな。
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