7.17.2008

外国語と数字

外国語をある程度話せるようになると、
頭の中での「日本語→外国語」の翻訳をやめて、
直接外国語で考えて話せるようになる。
例えば「猫」と言いたいときは、
猫の概念→猫→cat
という順序をたどるのではなく、
猫の概念からそのままcatに飛べるようになる。
文章を話すときでも同じように、
いちいち日本語から翻訳しなくても、
伝えたいことを直接外国語で考えて
文章を頭の中で構築しながら同時に話せるようになる。

しかし、この法則が唯一当てはまらないものがあることに最近気づいた。
それは、数字。

こないだ、近所のタクシー会社の電話番号を尋ねられた。
番号は、5651-4641 とわりと覚えやすい。
私はこの番号を「ごーろくごーいち、よんろくよんいち」
と記憶していた。
とっさに答えようとするけど、スペイン語だとなぜかうまく出てこない。
頭の中で「ごーろくごーいち、よんろくよんいち」
をスペイン語に翻訳する作業が必要だったのである。

外国語で数字を言うのが難しいのか、というとそういうわけでもないようだ。
例えば自宅の電話番号は、「しんくぇんたいせいす、おんせー・・・」
とスペイン語で覚えているので、
逆に日本語で電話番号を尋ねられると、えーっと、なんだっけ・・・となる。

また、日本語と外国語をごちゃまぜにしての暗算もかなり難しい。
スペイン語で「178+58は?」と尋ねられると、
スペイン語で答える方が早い。
日本語で答えるには、問題をまず日本語の数字に翻訳しないと、
スペイン語で暗算しながら日本語で答えを出すのは相当難しい。

なんで数字だけ、頭の中での翻訳作業が必要なんだろう。
それは、数字が本来完全に抽象的な概念であるために、
実は私たちは知らず知らずのうちに
数字を言葉にものすごく近づけて把握しているからなのではないか、
というのが私の仮説。
抽象的な概念はもちろんたくさんあるが、
数字ほど頭の中で作られた人工的な概念はない。
数字の「5」は、本来どこにも存在しないのである。
このため、「5」という数字は「ご」「five」「cinco」という言葉と
視覚、聴覚的にものすごく近く認識されていて(便宜的に)、
頭の中で復元作業を行なわない限り、
他の言語に訳すことが難しいのではないかと思う。
つまり、庭でニャーニャー鳴いているねこは
「猫」でも「cat」でもどうとでも呼べるのだが、
数字の場合は庭のねこほどの手がかりがないために、
その便宜的な記号を自由に取り替えることが困難なのだろう。

どうなんだろう。本当のところを知りたいものです。



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