4.11.2011

選挙と秩序のこと


日本は統一地方選とのことですが,地球のほぼ裏側ペルーでも,10日大統領選がありました。一回目の投票で誰も過半数取れなかったら決選投票という決まりがあるのですが,今回はウマラという極左ナショナリスト(左翼なのにナショナリストになれるのが,ラ米政治の面白いところなのですが)とフジモリ大統領の娘のケイコ氏が決選投票に進んだようです。日本のメディアはフジモリ元大統領に好意的な論調のものが多い気がします。一般に右と考えられている産経などは,フジモリ氏を支持する人々が「強権的だったにせよ治安の回復、インフレの封じ込めに成功したフジモリ時代への郷愁」をもっていると表現していて(http://sankei.jp.msn.com/world/news/110403/amr11040317200005-n1.htm),結果が出せれば手段(強権的=フジモリ氏がやった自演クーデターとか拷問・強制失踪などの人権侵害とか)に何を講じてもよいという示唆に驚かされます。決選投票は今月末のようです。

話はまったく変わって,上の写真ですが,ある朝息子を幼稚園に送り出して,家を出る前に遊んでいたおもちゃを片付けようとしたところ,唐突に,しかし整然と並べられた電車たちを発見しました。息子はいろんなものを並べたり,分類したり,箱にしまったりするのが好きです。もしかするとこどもの時期というのは,その後の時期と比べても,「AとBを区別する」とか「AとA'を似ているものどうしで同類とする」とか,そういう頭の処理をする能力に長けている時期なのかもしれません。

ケーブルのナショナルジオグラフィック・チャンネルで以前やっていた番組の中で,生後3ヶ月の赤ちゃんは,すでに人間とサルなどの別の動物を区別している,といったことを言ってました。あと,両親の話す母国語と,知らない言葉についても,こんな小さなうちから区別がつくそうです。人間とサル,そりゃそうだろと思わないでもないですが,実際小さな赤ちゃんがいったい何のためにそんな区別をしているのかと考えると,「分類」という作業がこの小さな命にとって,生きのびるための重要な知恵であることに思い当たります。お母さんの声や匂いを記憶するというのも,つまりは「分類」に基づく作業ですよね。

さて,だからかどうかは定かでありませんが,息子だけでなく,私のまわりのこどもたちの多くが,並べたり分けてまとめたりという秩序だった行為が好きなようです。謎なのは,ではいったい人間はいつから秩序を特に愛さなくなり,部屋がちらかっていても特に気にならなくなるのだろう,ということなのですが。



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