10.09.2008

10月2日

1週間ほど前になるが、10月2日は200人以上の犠牲者を出した1968年のメキシコシティ学生運動(トラテロルコ・三文化広場事件)から40年を数える記念日だった。40年前当時のメキシコ権威主義政権は、いわゆる発展途上国で行なわれる初のオリンピック開催を間近に控えて、政治的騒擾の雰囲気に過敏になっていた。華々しいオリンピックの陰に隠れた政治的抑圧と社会的不平等に異議を唱えて立ち上がった学生たちに対して、政府は軍を動員して運動を弾圧し、不必要な発砲と暴力によって多くの若者たちが犠牲となったのである。

この夏に行なわれた北京オリンピックと中国、チベットの状況にも重なって映る。

運動から40年を経た記念日には、メディアや集会などを通じて多くの特集が組まれ、68年の出来事を問い直すよい機会が設けられていたように思う。一方で、街でデモを行なった若者の一部が暴徒化し、警察らに対して破壊的な行動をとっていたのは非常に残念だった。彼らは68年の若者たちがどのような思いで政府と立ち向かい、そして亡くなっていったのか、しっかりと考えてみたことがあるのだろうか。少なくともニュースに映った彼らの姿にはイデオロギーのかけらもなく、記念日を自らのお祭り騒ぎの口実として利用しているだけのように見えた。

またその一方で、メキシコにおける政治的自由がまだ途上にあることを思わせる出来事もあった。カルデロン大統領は演説において、トラテロルコの学生運動で追求された政治的自由が今日のメキシコにおいて現実となったと誇らしげに述べたが、この演説中に「お前は偽の大統領だ!」と野次をとばした一学生が演説終了後に一時警察に拘束されるという、なんとも皮肉な事態となった。野次の内容はともあれ、政治的自由を謳う演説とは裏腹の政治的非寛容。これもまた、依然としてメキシコの現実なのである。

この国にいると、公憤を感じざるを得ないことが多い。まだまだ道のりは遠いと、そんなことを思った10月2日だった。


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