7.09.2012
ユダヤ的ブエノスの夜(滞亜日記3)
土曜日。昼間は散歩して、ロミートという肉のはさんであるサンドイッチを食べて、DVDとCDを買って、子供服の店で息子にロボットのついてる黒いパーカーを見繕い(彼はロボットのファンなのだ)、それから緑茶とアルファホールで休憩をして、家に帰ってきた。
夜はあやちゃんと遊ぶ。あやちゃんは文化人類学者で、ブエノスアイレスのユダヤ人コミュニティの研究をしている活発な女の子だ。9時からナチスのユダヤ人弾圧初夜「クリスタルの夜」に関連する芝居を観にいった。小さな芝居小屋に東欧人はわれわれ二人のみで、あとはあやちゃん曰く「ライトなユダヤ人」とのこと。年齢層はほとんどが「まさにその時代を生き抜きました」的な方々で、われわれを含めて若年層は1割にも満たなかった印象。まあ面白かったんだけど、今までお芝居を(子どもの頃を除いて)ほとんど観にいったことがないという理由もあって、例えば映画のように楽しみ方がいまいちわからない。数をこなして練習すればもっと楽しめるのかもしれない。
あやちゃんのブエノス在住ユダヤ人の大まかな区分によれば、それは(1)正統派と呼ばれる宗教的ユダヤ人、(2)ユダヤ文化を守る伝統派、(3)血筋としてはユダヤ人だけど、特に宗教的な戒律に沿って生きているわけではないライトなユダヤ人、の3つに分けられるらしい。正統派というのは全身黒ずくめで、男性は長いひげに黒のシルクハットをかぶっているような人たちで、見た目ですぐにわかる。毎週金曜日にはシナゴーグに通い、ユダヤ人と同居し、ユダヤ社会にどっぷり身を置くあやちゃんは、彼女の言葉そのままに「ユダヤ人の内面化」という自身の経験を語ってくれた。詳しいことは私にはよくわからないけれど、ようするにものの見方がすべてユダヤ的になっていくのだそうだ。コミュニティを重んじ、戒律の中に生きるユダヤ社会では、たしかに個人の見方を超えた「ユダヤ的な見方」というものが存在するのかもしれない。個人の記憶を超えた集団の記憶。個人の生とはすなわち集団の記憶の復元と維持でもある。そこでは個人の死生観も、21世紀日本におけるものとはだいぶ違っている気がします。どのような宗教でも、多かれ少なかれ人を生きる方向に導くための発明(それも優れた発明)といった側面はあるのだと個人的には思っているのだけど、ユダヤ教は中でもその規模の大きさと徹底度では、おそらくイスラムと並んで群を抜いている気がする。
10時半頃に終わって、それから芝居小屋近くのペルー料理屋に行った。この時間にレストランは盛況である。相変わらずブエノスアイレスの夜は長い。うちの人たちも「今日は夕食の約束があるの」って出かけていったけど、時間を訊いたら「11時待ち合わせ」だと言ってたし。
ペルー料理、めちゃくちゃ美味しかったな〜。特にブタ肉!写真奥の豚肉の煮込みは、ほろほろでとろけて幸せな味でした。そして付け合わせのサツマイモのオレンジ煮に、あやちゃんとひとしきり感心する。
しかしそれにしても、冬空にちょっと風邪気味の体調で、週末は一度テンポ・ダウンして整えることにします。
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