7.13.2012

メキシコ選挙の周辺的な問答

そういえばメキシコの選挙結果について書いていませんでした。とはいえ、日本でまったく注目を集めていなかった選挙戦について熱く語ったってめんどくさい人なだけであろうと思われるので、今回は趣向を変えて以下のように総括します。


<村上春樹的なダイアローグ>
「不法行為によって損害が生じるだろう? でもほら、その行為による損失そのものだけではなくて、他にも損害は生じているとするあの概念、なんと言ったっけ?」
「損害賠償」
「いや、そうじゃないんだ。昔習ったじゃないか、わかるだろう? つまり将来的に生じるはずだった利益を得られなかったことに対する賠償だよ。例えば被害者が売れっ子の作家だったとする。彼は誘拐されて拘束された3日間に、本当だったら素晴らしい短編小説を一編書き上げていただろう。一編半くらい書いたかもしれない。そういうのを換算するんだ。本1冊の値段がいくらで、売り上げがいくらで、短編一編分の値段がいくらで、とかいう具合に」
「逸失利益」
「そう。その通り。君はさすがだ。僕はその逸失利益について考えていたんだ。これってよく考えるとおかしな話じゃないか? だってその作家が誘拐されずにすんでいたって、うちで飼ってる猫のタマのお腹の調子が悪いのが気が気でなくて、その間うまく仕事がはかどらなかったかもしれない。あるいは、商店街のくじ引きで一等のハワイ旅行が当たってハワイに行ってて仕事のことなんて忘れていたかもしれない。不法行為はそれ自体が生じさせた損失についてははっきりと因果関係をもつけれど、別の将来についての可能性に何のかかわり合いももたないじゃないか」
「正論だ。でも、正論がそのまま法律になるわけじゃない。もちろん君の言うことはよくわかるし、未だにそういう論争があることもたしかだ。しかし、現実の世界で取り急ぎ重要なのは、なにがもっともかではなくて、なにがもっともらしいか、ということなんだ。もっともらしいことには名前がつけられる。名前を授けられた概念は、にわかに強力になるんだ。難しそうな名前であればあるほどいい。複雑そうなことと権威は親和的だからね。こうして便宜的に力を得た概念たちによって世界が作られているといっても過言ではないんだよ。僕の言っていること、わかるだろう?」
「もちろん」


<ドストエフスキー的なモノローグ>
「ねぇ、私はなにも人生の公平性の話をしているわけではないんです。公平であるべきだなんてことも言ってない。人生が公平でなんかあるはずがないことぐらい、ちゃんと私でも知っていますよ。畜生!今夜は妙に寒気がするな。そうじゃないんです。私がしているのはスポーツマンシップの話なんですから。姿勢なんです。いや、それ自体ですらない。そういう姿勢へ向かう努力の話なんですよ。だからほら、ちょっと考えてみてください。ある人には10メートル先にゴールは見えてる。またある人は120メートル走らないとゴールに着かない。明らかにルールが違いますね。でもいいでしょう。所詮スタート地点なんて公平ではありえないんです。それにこれだけルールが違っても、おっしゃる通り勝負を決める要素はこれだけではないですからね。ただですね、前者が後者を打ち負かしたとして――それは考えられうる限り当然の結果ですが――勝者に勝負の潔白性を謳う権利はありませんよ。いいでしょう、勝ちは勝ちです、認めましょう。しかしね、あたかも彼もまた120メートルを全力で走ったかのように、そんな風に振る舞う権利は彼にはないんです。そうしたいのだったらね、初めからスタート地点を後ろにずらす努力をすることですよ。きっちり同じにすることはないんです。そんなことはありえないんですから。いいですか、私がお話しているのは努力の話なんですよ。」


というわけで、わかりにくくてすみません。結果的には赤組の勝ちで旧与党PRI(ぷり)が12年ぶりに大統領に返り咲きました。

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