三日三晩熱にうなされ、ようやく回復の兆し――初めで、そしてソリッドな――が見えたとき、僕は、まだ生きていてもよいと、誰かに許されたような気がした。
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― とこんな風に物語は始まるんです。
― へえ、いいんじゃない。何かが始まりそうだもの。
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イタリアのベルルスコーニ元首相が、「ムッソリーニはいいこともした」とかいう発言をしたと先日新聞で読んだ。どこの国も一緒だなあと思う。景気が悪いときは、敵は外に。自尊心は過去に。
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ついでにいえば、「いつの時代も一緒だなあ」でもあるだろうか。大恐慌後のナチス・ドイツが歩んだ道も同じだっただろうか。チェコの作家ミラン・クンデラは、その重さと軽さについての論考の中で、以下のように述べる。
ヒットラーとのこの和解は、回帰というものが存在しないということに本質的な基礎が置かれている世界の、深い道徳的な倒錯を明らかにしている。なぜならばこの世界ではすべてのことがあらかじめ容認され、あらゆることがシニカルに許されているからである。
しかし、逆に回帰がありうるとすれば?
つまり、回帰がないという前提によってヒットラーを許すことで、回帰が生まれるというパラドクスが生じないだろうか?
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ミラン・クンデラに対する私の勝手な評価は、「がまんならないけれど、読まれるべき作家」というもので、やはりすごい作家だと思っている。私は彼の描く女性がまったく好きではない。なぜなら、彼女たちは美しいけれど、頭が悪くて愚かで客体かそのいずれかだから。しかし、彼の作品を読む段にあっては、そんなことはどうでもいいのである。
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