はい、HAKURONを書いているのですが、ラテンアメリカの政治文化には日本とは全然違うところがあって面白いです。例えば、メキシコやアルゼンチンの議会の名称は、"H. Congreso de la Unión"(メキシコ議会)や"H. Cámara de Diputados de la Nación"(アルゼンチン下院)という具合に、なぜかはじめに"H"がつきます。このHとはなにかというと、"Honorable"(尊敬に値する・立派な)の略なんです。人民によって選出された代議員から成る、尊敬すべき議会というわけですね。日本の国会の枕詞にそんな形容詞がついたら噴飯ものですが、別にメキシコやアルゼンチンの議員が日本の政治家に比べて素晴らしいとか、より腐敗していないとか、そういうわけではなく、バロック的な装飾表現を好む言語とお国柄によるものでしょうか。
ちなみにメキシコの陸軍士官学校は"H. Colegio Militar"といって、こちらも頭に"H"がつきます。こちらのHは"Heroico"(英雄的な・高潔な・勇敢な)の略です。これも我が防衛大学校の枕詞にはなかなかつけれそうにありませんね。
日本の政治・軍事機関にこれらの"H"をつけることがためらわれる理由の一つには、やはり全体主義と国家の暴走による太平洋戦争の記憶が関係しているのだろうと思います。このことは少なくとも2つのコンプレックスを示唆します。第一は、自国の歴史に対するコンプレックス。歴史教科書における「侵略」という言葉を「進出」に替えようという話なんかは、このコンプレックスを如実に表しています。第二は、"H"といえないコンプレックス。世界中の人々が祖国の国旗を愛するような感情を、日本人は抱くことができません。これらの意味において、たしかに日本は「ふつうのくに」ではないのかもしれませんが、別に"H"を用いずとも、母国に対する肯定的感情の表し方や感じ方はあるのではないかと、個人的には思っています。
新自民党政権は教育改革案の中で、「自国を誇りに思えるような歴史教育」を推進していくことを明言していますが、史実を歪めた勝手な解釈に基づく不健全なナショナリズムを「誇り」の拠り所とするのは間違っています。改革には慎重な話し合いが必要です。こどもたちに何を残すかがかかっているのですから。
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