4.24.2012

なにを研究してもいい

ハクロンが終わったら、「民主化が人々のチョコレートの質に関する認識に与えた影響についての考察」とか、「チョコレートの質への近代化論的アプローチによる接近」とか、そういうテーマを研究したいと思っている桃亀です(まだいってる)、こんにちは。

研究って、なにを研究してもいいんですよ!
私の申請書にも、「何を研究するか書け」とは書いてありますけど、
「ただし○○については研究してはならない」とは書いてありません。
それって実はすごいことだと思いませんか?

思い出すのは、アーシュラ・ル・グインの短編集『風の十二方位』に収録されている、「マスターズ」という物語です。この物語の世界では、「大学」が認定している「知識」をある程度習得した者には「修士号」が授与され、その公式の「知識」を生徒に教授する資格を与えられるのですが、形式的な「知識」以上のものを目指そうとする者は「異端」として告発され、処刑されます。形式的な知識というのはどういうものかというと、例えば「12+7」という問いに対して、それをある種の真理に基づいた計算によって「19」という答えを出すのではなく、「足し算表」の中の12と7の交わるところに書いてある「19」という数字を暗記することで「12+7=19」だと知っている、ということです。足し算の原理を知ろうとすることは、「異端」なのです。

突拍子もない話のようにもきこえますが、学問界でよく使われる言葉に「コペルニクス的転回」という言葉があるように、真理を追求しようとすることが「異端」とされた時代があったことは広く知られています。
ほら、なんでも研究していいなんていう時代が、いかに恵まれたものであるか、ちょっとそんな気がしてきたでしょう?

一方で、せっかくなんでも研究していい時代のわれわれが、ある種の真理を探求しようとするのではなく、「形式的な知識」に甘んじてしまっている部分もあるような気がして、このあたりにル・グインの物語のすごさがある気がします。

というわけで、申請書に戻ります…。


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