ああいそがしい、いそがしい。
ああ退屈、退屈。
ああねむい、ねむい、ねむい。
etc.
たしかに、なんでも二回以上繰り返すと、どこか自慢してるようにきこえるか、あるいは滑稽に響きますね。それはなぜかというと、ものごとはいつだって両面性をもっていて、誰かの不幸は別の誰かの(別の時点での同じ人間を含めて)幸せであるからで、かつ/または、「繰り返し」によって、言ってる本人もその状況を本当に不幸だとは思ってはいないことが伝わってくるからかもしれません。反復は「笑い」において伝統的に使われるパターンですし。ものすごくいそがしいなんて、失業してる人には幸せなことだし、よく眠れない人は、ねむい人をうらやましいと思うでしょうし。それで、私は現在いそがしくも退屈でもねむくもなく、ふつうですが、「ふつう」ですら状況によっては自慢にきこえてくるので要注意です。でも、この程度の「もしかすると自慢にもなりうる側面をもつ愚痴」の方が、もっと深刻な不幸をきかされるよりもずっといいし、私は「あーいそがしい、いそがしい」といいながら楽しそうな人がけっこう好きなんですが。
先日から書いている申請書の件で、ちらりと「ゴールのように見えたもの」が、まったくゴールではなかったことがあの後判明し(そういうことって、人生にほんと多い)、けっこう困り果てましたが、そこに火曜日から救世主というか、女神が登場し、どうにかなりました。息子のベビーシッター、アナ・カレンちゃんです(にじゅうにさい、なりたて)。息子はもう大喜びで、だいたいかわいい女の子が好きですから、それはもう初日からおねえちゃん、おねえちゃんといってなついて、帰るときは帰ってくれるなと泣いてました。それで、私が「もやもや考える時間」にも、午前中だけでなく午後の延長戦がもたらされまして、たぶんなんとかなりそうなのはそのおかげだろうと思います。
なんかもう2週間以上も同じ案件について考えていると、まったく進展のない時期からいきなりびゅーんと伸びるときがありますが、これってどんな練習にもいえることだなと思います。まったく進展のないように見える時期でも水面下では、徐々に、きわめて徐々に、筋肉がなにかを学習しながら変化しているのでしょう。
徐々に、も繰り返すと愉快ですね。
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