メキシコシティ北部のとあるディスコ"News Divine"、夕方5時の時点で店の前には200人が列を作り、店内は最大収容人数をはるかに上回る600人もの中・高生の若者で満員状態だったという。ちょうど今メキシコは中学、高校の卒業式の時期。卒業を祝う少年たちが、少し大人の格好をして友人たちとディスコに繰り出していた。そこで起こった悲劇。
この店は以前から、未成年者にお酒やドラッグを売っているとして数回メキシコシティ(連邦区)政府から強制閉鎖されていた。この日も数ヶ月前に閉鎖が解かれたばかりだったらしい。そして、どういうわけかこの金曜日の夕方、警察は200人を動員しての立ち入り検査に踏み切った。「中にいる客の一人も外に出さないように」との市警局長*の指示の下、店の裏口から外に出ようとする若者たちは警官によって道を塞がれ、暴行を受けた。それを見た若者たちは、怯えてディスコ内に戻ろうとする。小さな店の小さな通用口に、600人が押し寄せ、さらに逆流を作る。その結果、窒息や転倒、さらにはある筋によれば警官の暴行によって、多くの未成年者を含む12人もが死亡し(そのうち3名は警官と検察官)、18人がけがをするという、大惨事となった。
警察は、作戦に誤りがあったとして市警局長を停職処分にしたものの、今回の惨劇の責任者はディスコのオーナーであると主張している。店の所有者に酒・麻薬販売、また定員を越える人数を店内に入れたという責任があることは間違いない。しかし、責任としてより重要で、こうした事件を再び起こさないためにもきちんと追及されるべきなのは、警察の組織的責任であろう。
200人もの警官を動員して、警察は何がしたかったのか。卒業で沸き返る金曜の夕方、600人の少年を狭い場所に閉じ込めまわりを取り囲むことで、何をしたかったのか。600人の少年を逮捕することが目的だったのだろうか。効率性よりも派手で人目を引くことを重視している作戦が多いと、警察はこれまでにもたびたび批判を受けてきた。(派手なオペレーションは写真に撮ると「絵になる」ので、市民やお上に「仕事をしていること」を強調しやすく、好まれる。)わざわざこの日この時を選んで200人を動員しなくとも、不法な店を取り締まるもっと効率的なやり方はあったはずである。また、まだ13、14の少年たちが、200人の警官を前にしてパニックを起こすことなど、少し考えれば誰にでも予測できることだ。
この事件で、市民社会およびメキシコシティ人権委員会のような第三者組織が、どれほど事実解明に貢献し、警察<権威側>の責任を追及できるかは、メキシコの民主主義にかかわる重要な問題であると思う。しかし、メキシコに限らず、日本でも官庁などが組織的に事実をもみ消したり、責任の所在がよくわからないまま終わるのは、それほど珍しく聞こえる話でもない。先進民主主義国のカテゴリーの上にあぐらをかいていてはいけないはず。
*この場合、「市」とはメキシコシティ内の下位の政治地区単位のこと。東京都でいうと、区と市にあたる。
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