5.18.2012

ぼくがこの国にいる理由

外国に住んだことのある方にはうなずいていただけると思うが、外国に住んでいると「はぁ〜?」と思うことも日常的に多くあるものの、それでもそこに住み続ける理由は、その土地の素朴な人たちに親切にしてもらった経験があるから、というところが大きいのではないだろうか。その国を好きになるも嫌いになるも、結局のところ「人」なのである。

スリに遭うとひどく落ち込むし、挑発的な運転手にクラクションを鳴らされると腹も立つ。雨のたびに停電になるなんて、これでOECD加盟国だなんて笑わせる、と悪態をつくこともあるさ。アメリカにいたときには、すべてが功利主義的に動いている資本主義経済の成れの果てにいささか閉口したものだった(この国では「親切」にもお金がかかるのか!)。アルゼンチンの税関の腐敗ぶりはすごくって、日本から来る小包になぜか50%の関税をかけられたりもしたし。

それでも、その土地の人の小さな温かさに接するだけで、なんだいい国じゃん、って思うんですよね。道ばたとかで、なんだけど。だから、嫌なことがあったらそれだけなおのこと、その辺のおばちゃんと世間話をすることが心の快復に一番効果的だと思っています。その国のことを好きな気にさせてくれる人たちというのは往々にして、全然偉くて立派な人とかではなく、オーディナリィで、「素朴で」(sencillo)、そして「疲れを知らない」(incansable)人たちであることが多いんですよね。

研究についても同じかもしれません。
私はこれまでハクロン関連で、メキシコ・アルゼンチン・ウルグアイの政治家や保険会社の社長、それから労働組合の人たちなどに、インタビューをしたり、調査に協力してもらったりしてきたのですが、ラテンアメリカでは日本よりもずっとまだまだ「階級」が生きていて、これらの人々の社会的階級も、思想的な背景も、実にさまざまなものでした。中には、私が信じているものと必ずしも意見の一致を見ない人たちもたくさんいたわけですが、それでも、これまでインタビューをしたうちで嫌な印象をもった人は一人もいません。むしろ、ああ、それも正しいな、といつも思う。保守でも革新でも、突き詰めれば一緒だといつも思う。みんな自分の国のことが好きな人たちで(文句をいうときにすらそれが伝わってくる)、そういう人たち自身の魅力を通じて、私はその国に恋をしてきた気がします。だいたいインタビューを承諾してくれる人というのは、極東から来たハポネシータのくだらない質問に時間を割いてくれる奇人たちばかりなわけで、そういう何の得にもならない「非合理的な」選択をする人たちは、やはり何かしらの信念をもって動いていることが多いんですよね。

インタビューなどでいろんな人と知り合って話をしたことで、私はこの3か国のことをそれだけよけいに好きになりました。私は非常に人見知りなので、インタビューの前は決まっておなかが痛くなるのですが(いまだに)、インタビューを終えた後には必ずやってよかったなと思います。
結局、人、なんですよね。

私のハクロンが完成してくれる日がくれば、それはこれらの「疲れを知らない人たち」に捧げられることになるだろうと思います。


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