先日来ていた友人に、
「君はほんとに怒らないね」といわれた。
息子のことを、である。
たしかに考えてみれば、息子を怒ることはあまりないかもしれない。
「どっちでもいいこと」が多いのだ。
危ないことだけはダメだと言ってきかせるけど、
それ以外のことはどっちでもいい場合が多い。
それは「どうでもいい」ということではなくて、
それなりに時間をかけて考えてみた結果、どっちでもいいのである。
例えば、壁に落書きをするとか。
ごはんの前におかしを食べるとか。
おもちゃをかたづけないとか。
着替えないとか。
しかしながら、どっちでもよくてもイライラする場合がやはりある。
これが第三のケースである。
典型的には、短期的に実現しそうにないことについて長時間泣きわめかれる場合がこれに相当する。しかもその場合は往々にして圧倒的な眠気が彼をいらだたせていることが多く、手に負えないのだ。昨晩もこのケースだった。風呂上がりに、パパがいい、もうどうしたってパパがいい、といって泣き出したのである。パパはおしごとだからね〜、まあそのうち帰ってくるわよ、というのだけど、泣き声は激しさを増す一方で、パパに電話をしても泣き止まないし、10分を過ぎたあたりでさすがにイライラしてきた。人はおそらく本能的に、他の人が泣いていると気になっちゃうようにできているのでしょうね。こちらまで不安になってくる。端的にいえば、イライラするわけです。
しかし、ちょっと考えてみると、泣いたって状況は少しも変わらないのに泣きたい、ということは誰にでもあるものです。泣くこと自体は悪いことではないし、無駄なことでもない。なので、それを頭ごなしに怒るのも私としてはフェアではないと思う部分がある。でも、隣の息子が泣き続けているのには非常にイライラしている。そこで、ふいに頭に浮かんだことを話してみました。
「あのね、泣いたってなにも変わらないわけ。そういうときは、ひと前で泣くもんじゃないのよ。そういうときは、ひとりでこっそり泣きなさい。わかった?」
すると、おそらく彼も泣き止むきっかけがつかめずに困っていたのでしょう、「わかった」というとすぐに泣き止んで、すやすや寝てしまいました。なかなかハンフリー・ボガードみたいで気に入ったので、これからはこの手でいこうと思います。
こうして私は、平和にSF小説の続きにとりかかることができたのでした(念のためいっておきますが、書いているのではなく読んでいるSF小説です)。
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